蓬左文庫本『竹取物語』


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書誌情報
・慶長(1596-1615)頃の写か
・尾張徳川家旧蔵、蓬左文庫
・本文は流布本第3類第1種 漢文式の表記、特殊な用字などが認められる特異な本である
・中山春明氏が翻刻した本文データをDKが修正し、中山氏の御快諾を得て公開したもの 心より御礼申し上げます
・この本文データ は クリエイティブ・コモンズ 表示 - 継承 4.0 国際 ライセンスの下に提供されていますクリエイティブ・コモンズ・ライセンス

○凡例
・『竹取物語』蓬左文庫藏本を、『復刻日本古典文学館 竹取物語』
 (日本古典文学会・編、昭和四十九年、日本古典文学刊行会・刊)の影印によりて翻字す。
・翻字は、筆者の筆により表現せられたる字形に拘らず。筆者の意中に表現せんとせし字を模範とす。
・改行位置は底本の改行に一致せしめたり。
・底本の和歌は初めに字下げありて、結句と詞と行を改めず。和歌の字下げは、一字闕字にて示す。
・誤字の訂正の上書き、脫字の插入等訂正類は、原則本文に組み込みて、一々明記せず。
・丁數は、『竹取物語の研究 本文篇』に從ふ。
・注意すべき箇所は、字の前に(*#)と注を示し、奧の注文と番號にて照し合せたり。
・なほ、本文中濁點を付せる仮名二例あれど、一種の筆者の注記と見て、翻ずるに當りては濁點を付せず。
 注にて之を明しおけり。
・特別なる表記は符號を以て示す。
	<> …… 訓點
	[] …… 添字
	{} …… 釋讀一案
	■ …… 不可釋讀。後考を俟つ
	v …… 返り點
・左の異體はここに示す如く統合せり。
	斗(計) => 計	:「斗」の如く作るは「計」字の行草體なり。
	飡(食) => 飡	:「飡」はもと「餐」俗字。ここには唯だ「食」の繁文の如きのみ。
	余(餘) => 余	:「余」はもと「餘」と別字なれど、「余」は「餘」の略字にも用ゐらる。
	与(與) => 與	:「与」は「與」の略字。音義異なること無し。
	糸(絲) => 糸	:「糸」はもと「絲」と別字なれど、義近く、「糸」は「絲」の略字にも用ゐらる。

(1a)今は昔竹取の翁といふ者ありけり野
山にましりて竹をとりつゝ萬の事
につかひけり名をはさかき宮つことなん
いひける其竹の中に本光竹なん一
筋ありけりあやしかりてよりてみる
に筒の中光たり其をみれは三寸
はかりなる人いとうつくしうて居たり翁
云やう我朝每夕每にみる竹の中に
おはするにて知ぬ子に成給へき人なめり
とて手に入て家に持てきぬめの女に

(1b)あつけてやしなはすうつくしき事限
なしいとおさなけれはこに入てやしなふ
竹取の翁竹を取に此子をみつけて後
に竹取にふしへたてゝよ每に金
ある竹をみつくる事かさなりぬ翁や
う〳〵豐に成行此ちこやしなふ程にすく〳〵
とおほきに成まさる三月はかりに成程
によき程なる人に成ぬれはかみあけ
なとさうそくしてかみあけせさせ裳き
す帳の內よりもいたさすいつき養こ

(2a)のちこの皃のけさうなる事世になくや
のうちはくらき處もなく光みちたり
翁心あしくくるしき時も此子をみれ
はくるしき事もやみぬはらたゝしき
事もなくさみたり翁竹を取事ひ
さしく成ぬいきほひまうの者に成に
けり此子いとおほきに成ぬれは名をみ
むろといんへのあきたをよひてつけさす
あきたなよ竹のかくや姬とつけつ此程
三日のうちあけあそふ萬の遊をそしける

(2b)男はうけきらはすよひつとへていとかしこく
あそふ世界のおのこあてなるも賤しきも
いかて此かくや姬をえてしかなみてしかなと
音にきゝめてゝまとふ其あたりのか
きにも家の戶にもおる人たにたはや
すくみるましき物を夜はやすきいも
ねて闇の夜に出ても穴をくしり
あるひはかきまみまとひあへりさる時よ
りなん夜はひとは云けるひとの物とも
せぬ所に迷ありけとも何のしるし有

(3a)へくもみえす家の人共に物をたに
いはんとていひかゝれ共事ともせすあたり
をはなれぬ君達夜を明かし日を暮す
多かりおろかなる人は用なき有(*1)樣はよし
なかりけりとてこす成にけり其中に
猶いひけるは色好といはるゝ限五人思ひ
やむ事なく夜晝きけり其名共石つくり
の御子くらもりの御子左大臣あへのみむらし
大納言大伴のみゆき中納言いその上まろ
たか此人々なりけり世中に多かる人をたに

(3b)少も皃能と聞ては得まほしうする人々
なれはかくや姬を得まほしうて物もくは
す思ひつゝ彼家に行てたゝすみあり
きけれとかひ有へくもあらす文を書て
やれ共返事もせす侘哥なとかきて
おこすれとかひなしたゝ思へと霜月師走
の降氷水無月のてりはたたくにも
さはらす來たり此人々有時は竹取を呼
出て姬を我にたへとふしおかみ手をすり
宣とおのかなさぬ子なれは心にもしたかはす

(4a)なんあるといひて月日過す懸れは此人々
家に歸て物をおもひ祈をし願を
たつおもひやむへくもあらすさりとも
終に男あはせさらんやはとおもひて賴を
かけたりあなかちに志をみへありく是
をみ付て翁かくや姬にいふやう我子の
佛のへんけの人と申なからこゝらおほきさ
まてやしなひ奉る心さしおろかならす翁
の申さん事は聞給てんやといへはかくや姬
何事をかの玉はん事をうけたまはらさらん

(4b)變化の物にて侍けん身とも不<v>知おやとこそ
思奉れと云翁嬉しくも宣物かなと云おきな
年七十にあまりぬ今日とも明日とも不
知此世の人は男は女に逢事をす女はお
とこに逢事をす其後なん門廣くも成
侍るいかて去事なくておはせんかくや姬
の云なんてうさる事かし侍らんといへは變
化の人といふとも女の身持給へりおきなの
あらん限はかうてもいまめかりなんかし
此人々の年をへてかうのみいましつゝ

(5a)宣事をおもひさためて獨々に逢奉り
給ねといへはかくや姬いはく能もあらぬ
かたちをふかき心も知(*2)てあた心つきなは
後くやしき事も有へきと思ふ計也世
のかしこき人なりともふかき心さしはし
らてはあいかたしとなん思ふと云翁いはく
思のことくもの給かな抑いかやうなる志
あらん人にかあはんとおほすかはかり志お
ろかならぬ人々にこそあめれかくや姬云
何はかりのふかきをかみんといはん聊の事也

(5b)人の志ひとしからん也いかてか中におとり
まさりはしらん五人の人の中に床しき
物をみせ給へらんに御心さしまさりた
りとてつかふまつらんと其人々に申給へ
と云よき事なりとうけつ日くるゝ程に
例のあつまりぬ或は笛をふき或は
哥をうたひあるひはさうかをし或はう
そふき扇をならしなとするに翁出
て云忝きたなけなる所に年月をへて
ものし給事きはまりたり畏たりと申

(6a)翁の命今日明日とも知ぬをかく宣君
たちにもよく思さためてつかふまつれと申も
ことはり也何もおとりまさりおはしまさね
は御志の程はみゆへしつかふまつらん事は
それをなんさたむへきといへは是よき事
なり人の御恨も有ましと云五人のひと〳〵も
よき事なりといへは翁入ていふかくや姬
石つくりの御子には天ちくに佛の石の
はちといふ物ありそれを取て賜[ヱ]と云くら
もちの御子には東の海にほうらいと

(6b)といふ山有也それに銀を根とし金を
くきとし白玉をみとしてたてる木あり
それ一枝おりて給はらんと云今ひとりには
もろこしに有火鼠の皮衣を給へ大伴の
大納言には辰のくひに五色に光玉あり
其を取て給へいその上の中納言にはつ
はくらめのもたるこやすの貝一つ取て
給へと云翁かたき事共にこそあめれ此
國にある物にもあらすかくかたき事
をはいかに申さんと云かくや姬何かかたからん

(7a)といへは翁とまれかくまれ申さんとて出て
かくなん聞ゆるやうにみ給へといへは御子た
ち上達部きゝておいらかにあたりよりたに
なありきそとやは宣はぬといひて皆かへり
ぬ猶此女みては世に有ましき心ちの
しけれは天竺にあるものももてこぬもの
かはと思めくらして石作の御子は心のしたく
有人にて天竺に二となきはちを百千
萬里の程いきたり共いかて取へきと思
てかくや姬のもとにはけふなん天竺ゑ

(7b)石のはち取にまかるときかせて三年
はかり大和國十市郡にある山寺にひんつ
るのまへなるたいのひた黑にすみつき
たるを取て錢のふくろに入て作花の
枝につけてかくや姬の家にもて來て
みせけれはかくや姬あやしかりてみれはは
ちの中に文ありひろけてみれは
 海山の道に心をつくし果ないしの
はちの淚なかれきかくや姬光やあると
みるに螢はかりの光たになし

(8a) 置露の光をたにそやとさまし小倉
山にて何もとめけんとて返しいたすはち
門にすてゝ此哥の返しをす
 しら山にあへは光もうするかとはち
を捨ても憑るゝかなとよみて入たりかく
や姬返しもせす成ぬ耳にも聞入さりけれ
はいひかゝつらひて歸りぬかのはちを捨て
又いひけるよりそ思なき事をははちを
すつとはいひけるくらもちの御子は心た
はかり有人にて大やけにはつくしの國に

(8b)ゆあみにまからんとて暇申てかくや姬の
家には玉の枝取になんまかるといはせ
て下り給につかふまつるへき人々難波
迄御送りしける御子いと忍てとの玉は
せて人もあまた出おはしまさす近うつ
かふまつる限して出給ぬ御送の人々み
奉りおくりて歸りぬおはしぬと人にはみへ
給て三日計有て船こきかへり給ぬ兼て
こと皆仰たりけれは其時ひとつのたから
成けるかちたくみ六人めしてたは安く

(9a)人よりくましき家を作りてかまとを
三へにしこめてたくみしを入給つゝ御
子もおなし處にこもり給て知せ給たる
限(*3)十六そをかみにくとをあけて玉の
枝を作り給かくや姬の給やうたかはすつ
くりいてついとかしこくたはかりて難波
にみそかにもて出ぬ船に乘て歸り來に
けりと殿につけやりていといたくくるしけ
なるさまして居給へり迎に人多參り
たり玉の枝をはなかひつに入て物おほひ

(9b)て持て參るいつか聞けんくらもちの御
子はうとんくゑの花持て上り給へりとのゝ
しりけり是をかくや姬聞て我は此
御子にまけぬへしとむねつふれて思けり
懸るに門をたゝきてくらもちの御子お
はしたりとつく旅の姿なからおはしまし
たりといへは逢奉る御子のたまはく命を
捨てかの玉の枝もちて來るとてかくや
姬にみせ奉り給へといへは翁もちて入
たり此玉の枝に文をそつけたりける

(10a) いたつらに身はなしつとも玉の枝を
たおらて更にかへらさらまし是を
哀ともみておるに竹取の翁はしり出て
いはく此御子に申給しほうらいの玉の枝を
一の所あやまたすもておはしませり何を
もちてとかく申へきたひの御姿なから我
御家へもより給はすしておはしたり
はや此御子に逢つかうまつり給へと云に
物もいはてつらつへをつきていみしう
なけかしけにおほえたり此御子今さへ

(10b)何かといふへからすと云まゝにゑんにはいのほ
り給ぬ翁ことはりに思此國にみえぬ
玉の枝也此度はいかてかいなひ申さん人樣も
よき人におはすなといひゐたりかくや姬
の云やう親の宣事をひたふるにいな
ひ申さんことのいとをしさに取かたき物を
かく淺ましうてもて來る事をねたく思
翁はねやのうちしつらひなとしおきな御
子に申やういかなる所にか此木はさふらひ
けんあやしくうるはしくめてたき物にも

(11a)と申御子答ての玉はくさいつ年二月の
十日比に船に乘て海の中に出てゆかん
方も不<v>知おほえしかと思ふ事ならて世中
にいきて何かせんと思しかはたゝむなし
き風にまかせてありく命しなはいかゝは
せんいきてあらん限かくありきて蓬萊と
いふやらん山にあふやと海にたゝよひこき
ありきて我國の中をはなれてありき
まかりしに有時は浪荒つゝ海の底にも
入ぬへく有時は風につれて知ぬ國に吹

(11b)被<v>寄て鬼のやうなる物出てころさんとしき
有時はきし方行すゑも不知海にまき
れんとしき有時はかてにつきて草の根
を飡としきあるときはいはん方なくむく
つけゝなる物きてくひかゝらんとしき有とき
は海の貝を取て命をつく旅の空にた
すけ給へき人もなき處に色々の病を
して行方空も覺えす舟の行に任て
五百日と云辰の時はかりに海中にわつ
かに山みゆ船のうちをなんせめてみる海のの

(12a)上にたゝよへる山いと大きにてあり
其山のさまたかくうるはし是や我求山
ならむと思ひてさすかにおそろしくお
ほえて山のめくりを指めくらして二三日
はかり見ありくに天人のよそほひしたる
女山の中より出來てしろかねのかな丸
を持て水を汲ありく是をみて船よ
りおりて此山の名を何とか申と云女こ
たへていはく是は蓬萊の山なりと答
是を聞に嬉しき事限なし此女かく

(12b)宣は誰そと問我名はうかんるりといひて
與風山の中に入ぬ其山みるに更にのほる
へきやうなし其山そはひらをめくれは世中
になき花の木共たてり金銀るり色の
水山より流出たり其には色々の玉のは
し渡せり其あたりにてりかゝやく木共
たてり其中に此取て持て來しは
いとわろかりしかともの給しにたかはまし
かはと此花折てまうて來る也山は面
白し世にたとふ木にあらさりしかと

(13a)此枝をおりてしかは更に心もとなく
て船に乘て追風にて四百三日になん
詣きにし大勢にや難波より昨日なん都
にまうて來つる更にしほにぬれたれ
衣をたにぬきかへ(*4)てなんこちまうてき
つると宣へは翁きゝてうち歎てよめる
 くれ竹のよゝの竹取野山にもさやは
侘しきふしをのみみし是を御子聞て
こゝらの日比おもひ侘侍つる心は今日なん
おちゐぬると宣て返し

(13b) 我袂けふかはけれは侘しさの千
種の數も忘られぬへしとの給懸る程
に男共六人つらねて庭に出來り一人
の男ふはさみに文をはさみて申くもん
つかさの內匠あやへのうち丸申さく玉の
木作りつかうまつりし事五石をたちて
千余日に身を盡したる事すくなからす
然にろくいまた給らはす是をはわろ
きけこ給せんといひてさゝけたり竹取
の翁此たくみしか申事を何ことそと

(14a)かたふきおる御子は我にもあらぬ氣色にて
きも消居給へり是をかくや姬きゝて
此奉る文をとれといひてみれは文に申
けるやう御子君千日賤しきたくみらと
諸友におなし處にかくれゐ給てかし
こき玉の枝を作らせ給てつかさも給はん
と仰給き是を此比あんするに御使とおは
しますへきかくや姬のえう給へき也
けりて承て此宮より給らんと申をきゝ
てかくや姬のくるゝまゝにおもひ侘つる心ち

(14b)わらひさかへて翁を呼取て云やう誠に
蓬萊の木かとこそおもひつれかくあさ
ましき空ことにて有けれははや返し
給へといへは翁答さたかに作らせたるも
のと聞つれはかへさん事いとやすしとうなつ
きおりかくや姬の心行果て有つる返し
 まことかと聞てみつれはことの葉を
かされる玉の枝にそ有けると云て玉
の枝も返しつ竹取の翁さはかりかたら
ひつるかさすかに覺えてねふりおる御子は

(15a)たつもはしたないるもはしたなにて
居給へり日の暮ぬれはすへり給ぬ其
せし內匠等をはかくや姬よひすへて嬉し
き人ともなりとてろくいと多とらせい
みしく喜ておもひつるやうにも有かな
と云て歸道にてくらもちの御子血の
なかるゝまて調させ給ろくえしかひもなく
とり捨させ給けれはにけ失にけりかくて
此御子は一生のはちこす過るはあらし女
をえす成ぬるのみならす天下の人の


(15b)みおもはん事のはつかしきことゝ宣て
たゝ一所ふかき山へ入給ぬ宮司侍人々皆
手をわかちて求奉れ共御死もやし給
けんえみ付奉らす成ぬ御子の御ともに
かくし給はんとて年比みへ給はさるやり
是をそ玉さかるとはいひはしめける右大
臣あへのみむらしはたからゆたかに家
ひろき人にておはしけるその年來りける
もろこし船のわうけいといふ人のもとに
文を書て火ねすみの皮といふなる物


(16a)かいておこせよとてつかうまつる人
の中に心たしかなるをえらひて小野
のふさもりと云人をつけてつかはすも
ていたりてかのもろこしにおるわうけいに
金をとらすわうけい文をひろけて返事
かく火鼠の皮衣此國に無物也音にはき
けとも未みぬもの也世に有物ならは此國に
ももてまうて來なましいとかたきあきな
ひ也若天竺にたに玉さかにもて渡なは
若長者のあたりに求むになき物ならは

(16b)使にそへて金をは返し奉らんといへり
かのもろこし船きけり小野の房盛詣き
て上ると云事を聞てあゆみとうする馬
を持てはしらせんかへさせ給時に馬にの
りてつくしよりたゝ七日に上り詣くるふ
みをみるに云火鼠の皮衣からうして
人をいたして求て奉る今の世にも昔の
世にも此皮はたやすく無物也けり昔かし
こき天竺のひしり此國にもて渡て侍
ける西の山寺に有ときゝて大やけに申からう

(17a)してかい取て奉るあたひの金すくなし
と國司使申せしかはわうけいか物くはへて
かいたり今金五十兩給へし舟のかへらん
につけてたひおくれ若金給はぬ物ならは
皮衣のしちたへといへる事をみて何お
ほす今かね少にこそあなれ嬉しくて
おこせたるかなとてもろこしの方にむか
ひてふしおかみ給此皮衣入たる箱をみれ
は草〳〵のうるはしきなりを色ゑにて作
皮衣をみれはこんしやうの色也毛の末には

(17b)金の光しさゝきたり(*5){寶々}とみへうるはし
き事雙へき物なし火にやけぬ事より
もけうら成事ならひなしうへかくや姬
このもしかり給にこそ有けれと宣てあ
なかしことて箱に入給ぬ物の枝に
つけて御身のけさういといたくしてやか
てとまりなん物そとおほして哥よみ
て持ていましたり其哥は
 かきりなき思ひにやけぬ皮衣袂
かはきてけふこそはきめといへり家の

(18a)門にもていたりてたてり竹取出きて
取入てかくや姬にみすかくや姬かは衣を
みていはくうるはしき皮なめりわきて
誠のかはならんとも不<v>知竹取答て云とまれ
かくまれまつしやうし入奉らん世中にみへ
ぬ皮衣のさまなれは是をと思給ぬ人な
いたく侘させ給そといひてよひすへ奉るか
くよひすへて此度は必あはんと女の心に
も思ひおり此翁はかくや姬のやもめなるを
なけかしけれはよき人にあはせんとおもひ

(18b)はかれとせちにいなといふ事なれはえし
いねはことはり也かくや姬翁に云此かは衣
は火にやかんにやけすはこそ誠ならめと
おもひて人のいふ事にもまけめ世に無も
のなれは其を誠とうたかひなくおもはんと
宣猶是を燒て心みんといふ翁それさも
いはれたりと云て大臣にかくなん申と云大
臣答ていはく此皮はもろこしにもなかり
けるをからうして求尋えたる也何のう
たかひかあらんさは申ともはや燒てみ給

(19a)ゑといへは火の中にうちくへてやかせ給
にめら〳〵と燒ぬされはこそこと物の皮也
けりと云大臣是をみ給てかほは草の葉
の色にてゐ給へりかくや姫はあなうれしと
喜てい給へりかのよみ給ける歌の返し
箱に入て返す
 名殘なくもゆとしりせは皮衣おもひ
の外に置てみましをとそ有ける去
はかへりいましにけり世の人々あへの大臣は
火鼠の皮衣もていましてかくや姫に

(19b)すみ給とな爰にやいますなと問ある人の
云かは衣は火にくへて燒たりしかはめら
めらとやけにしかはかくや姫逢給はすと
いひけれは是をきゝてそとけなき物を
はあへなしといひける大伴のみゆきの
大納言は家にありと有人めしあつめ
ての給はくたつのくひに五色の光ある玉あ
なり其を取て奉らん人にはねかはん事
をかなゑんとの給おのことも仰のこと承て
申さくおほせの事はいともたうとし但こ

(20a)の玉たはやすくえとらしをいはんや辰の
頸の玉をいかゝとらんと申あへり大納言の給
てんの使といはん物は命を捨てもおのか君
のおほせことをはかなえんとこそ思ふへけれ
此國になき天竺もろこしの物にもあらす此
國の海山より龍はおり上る物也いかにお
もひてか汝らかたき物と申へきおのことも申
やう更はいゝはせんかたなき事なれとも
仰事にしたかひ求にまからんと申大納言
みはからひて汝ら君の使と名をなかしつ

(20b)君の仰ことをはいかゝはそむくへきと宣
て辰の頸の玉とりにとておしたて給此
人々の道のかてくひ殿のうちのきぬわた錢
なと有かきり取出てつかはす此人々歸る
迄いもゐをして我はおらん此玉取えて
は家にくなとの給せけり各々おほせ承て
まかり出ぬ辰のくひの玉取えすはかへりくな
との給へはいつちも〳〵足のむきたらん方へ
いなんす懸るすき事をし給ことゝそしり
あへり給はせたる物各々分つゝ取或はおの

(21a)か家にこもり居或はおのかゆかまほしき
處へいぬおや君と申ともかくつきなき事
を仰給ことゝ事ゆかぬ物ゆへ大納言をそしり
あひたりかくや姬すへんには例やうには
みにくしと宣てうるはしきやを作り給て
うるしをぬりまきゑしてかへし給てや
の上には糸を染て色々にふかせてうち〳〵
のしつらひにはいふへくもあらぬ綾織物
に繪をかきてまはりにはりたりもとの
めともにかくや姬を必あはんまうけして

(21b)獨明し暮し給つかはしゝ人をは夜ひ
る待給に年こゆるまて音もせす心元
なかりていと忍て只舍人二人めしつきとし
てやつれ給て難波の邊におはしまして
問給事は大伴の大納言殿の人や船に
乘てたつころして其か頸の玉とれ
とや聞ととはるに船人答て云あやし
き事かなと笑ひてさるわさする舟もな
しと答るにおちなき事する船人にも
有かなえ知らてかくいふとおほして我弓

(22a)の力は辰あらはふところしてくひの玉は
取てんおそくくる奴原をまたしと宣て
船に乘てつくしの方の海にこき出給
ぬいかゝしけんはやき風吹て世界くら
かりて舟をふきもてありくいつれの方とも
不知舟を海中にまかり入ぬへく吹まは
して浪は船にうちつけつゝまきいれ
神は落かゝる侘しきめみすいかならむ
とするとの給梶取答て申こゝら船
にのりてまかりありくにまたかく侘しき

(22b)めをみす船海の底にいらすは神落かゝ
りぬへしもしさいはいに神のたすけ
あらは南海にふかれおはしぬへしう
たてある主の御もとにつかうまつりてすゝ
ろ成死をすへかめるかなと梶取なく大納言
是をきゝての給はく船に乘てはかち
とりの申事をたかき山とたのめなとかう
たのもしけなく申そと靑へとをつきて
の給かちとり答て申神ならねは何わさ
をかつかうまつらん風吹浪はけしけれ

(23a)とも神さへいたゝきに落かゝるやうなるは
龍をころさんと求候へはかく有也はやて
もりうのふかするなりはや神にいのり
給へと云よき事なりとて梶取の御神聞
召おこなく心おさなく辰をころさんと思けり
今より後は毛の末一筋をたにうこかし奉ら
しとことをはなちて立居なく〳〵よはひ
給事千度はかり申給けにやあらんやう〳〵
神なりやみぬ少ひかりて風は猶はやく吹
かちとりの云是は辰のしわさにこそ有

(23b)けれ此吹風はよきかたの風也あしき方のかせ
にはあらすよき方におもひきて吹也といへ共
大納言はこれをきゝ入給はす三四日吹て
吹返し寄たり濱をみれは播磨の明石
のはまなりけり大納言南海の濱に吹
被<v>寄たるにやあらんといきつき伏給へり
舟に有おのことも國に吿たれとも國の
つかさまうて訪にもえおきあかり給はて船
底に臥給へり松原に御筵敷てお
ろし奉る其時そ南海にあらさりけり

(24a)とおもひてからうしておきあかり給へるを
みれは風いとおもき人にて腹いとふくれ
こなたかなたの目にはすもゝを二つつけ
たるやう也是をみ奉りてそ國の司
もほゝゑみたり國に仰給てたこし
つくらせ給てによう〳〵になはれて家
に入給ぬるをいかてか聞けんつかはしゝ
おのことも參りて申やう龍のくひの玉を
えとらさりしかはなんてんゑもゑ參らさりし
玉の取かたきを知給へれはなんかんたう

(24b)あらしとて參りつると申大納言おき
いての給はく汝らよくもてこす成ぬ龍は
なる神の類にこそ有けれそれか玉をと
らんとてそこらの人々のかいせられなんかし
けりまして龍をとらへましかは又ことも
なく我はかいせられなましよくとらす
成にけりかくや姬てふ大ぬす人のやつか
人ころさんとする也けり家のあたりたに
今はとをらしおのこ共もなありきそとて
家に少殘たりける物共は龍の玉をとら

(25a)ぬ者共にたひつ是をきゝてはなれ給
しもとのうへははらを切て笑ひ給糸を
ふかせ作りしやは鵄烏の巢に皆飡
もていにけり世界の人のいひけるは大と
もの大納言は龍の頸の玉や取ておはし
たるいなさもあらすみまなこふたつにす
もゝのやうなる玉をそうへていましたる
といひけれはあな堪かたといひけるよりそ
世にあはぬ事をはあな堪かたとはいひ
はしめける中納言いその上まろたか家

(25b)につかはるゝおのことものもとにつはくらめ
の巢飡たらは吿よと宣を承て何
のよふにかあらんと申答ての給やうつは
くらめのもたるこやすの貝をとらんれ
やうなりと宣おのこ共答て申つはくら
めをあまたころしてみるにも腹に無
物也但子うむ時いかていたすらんはらくる
と申人たにみれは失ぬと申また人の申
やうおほひつかさのいひかしく屋のむねに
つゝのある每につはくらめは巢を飡侍

(26a)其にまめならんおのこ共をいてまかりて
あくらをゆひあけてうかゝはせんにそこら
のつはくらめ子うまさらんやは扨こそとら
しめ給はめと申中納言喜給ておかしき
事にも有哉もともえ知さりけり興あ
る事申たりと宣てまめなるおのことも
廿人はかりつかはしてあないにあけすへられ
けり殿より使隙なく給はせてこやすの
貝取たるかととわせ給つはくらめも人の
あまたのほりいたるにおちて巢にものほ

(26b)りこす懸る由の返事を申たれは聞給
ていかゝすへきとおほし煩にかのつかさの
官人くらつまろと申翁申やうこやすの
貝とらんとおほしめさはたはかり申さんとて
御前に參りたれは中納言ひたいを合て
むかひ給へりくらつ丸か申やう此つはくらめ
の子安貝はあしくたはかりてとらせ給
なり扨はえとらせ給はしあなゝひにお
とろ〳〵しく廿人のひとの上りて侍れは
あれてよりまうてこすせさせ給へきやう

(27a)は此あなゝひをこほちて人みなしりそき
て人ひとりあらこにのせて綱をかまへて
鳥の子うまん閒に綱をはりあけさせ
てふとこやすのかいはとらせ給はなんよか
るへきと申中納言の給やういとよき事也
とてあなゝひをこほし人皆かへり詣きぬ
中納言くらつまろにの給はくつはくらめは
いかなる時に子うむと知て人をはあく
へきととわせ給くらつ丸申やうつはくら
めは子うまんとする時は尾をさゝけて

(27b)七度めくりてなんうみおとす扨七度めく
らんおり引{あ}けてその折子安貝はとら
せ給へと申中納言喜給て萬の人にも
知せ給はてみそかにつかさにいましておの
こ共の中におはし夜をひるになして
とらしめ給くらつ丸かく申をいといたく喜給
ての給爰につかはるゝ人にもなきにねか
ひをかなふる事嬉しさと宣て御そぬ
きてかつけ給つ更によさり此つかさに
詣ことの給てつかはしつ日暮ぬれはかの

(28a)かのつかさにおはしてみ給に誠つはくら
め巢作れりくらつ丸申やうをうけてめく
るにあらこに人をのほせて釣あけさせて
つはくらめの巢に手をさし入させてさ
くるに物もなしと申に中納言あしく
さくれはなき也と腹立て誰はかりおほ
えんにとて我のほりてさくらんと宣て
こにのほりてうかゝひ給へるにつはくら
め尾をさゝけていたくめくるに合て手を
さゝけてさくり給手にひらめる物さは

(28b)る時に我物にきりたり今はおろし
てよ翁しゑたりとの給てあつまりて
とくおろさんとて綱を引過してつなた
ゆる則やしまのかなへの上にのけさま
に落給へり人々淺ましかりて寄て
かゝゑ奉れり御めはしらめにて伏給へり
人々水をすくひ入奉るからうしていき
いて給へるにまたかなへの上より手取あ
し取さけおろし奉るからうして御心
ちはいかゝおほさるゝと問へはいきの下に

(29a)て物は少おほえれとこしなんうこかれぬ
去とこやすの貝はふとにきりもたれは嬉
しく覺る也先しそくさして爰の貝か
ほみんと御くしもたけて御手をひろけ
給へるにつはくらめのまりおけるふるくそ
をにきり給へるなりけり其をみ給て
あなかひなのわさやと宣けるよりそ思ふ
にたかふ事をはかひなしとはいひける
かいにもあらすとみ給けるに御心ちも
たかひてからひつのふたの入られ給ふへくも

(29b)あらす御こしはおれにけり中納言はいひ
いけたるわさして病事を人にきかせ
しとし給けれと其を病にていとよはく
成給けり貝をえとらす成にけるより
も人の聞笑はんことを日にそへて思給け
れはたゝに病しぬるよりも人きゝはつか
しくおほえ給なりけり是をかくや姬き
きて訪にやる哥
 年をへて浪たちよらぬ住の江の
まつかひなしときくはまことかと有を

(30a)よみてきかすいとよはき心ちにかしらも
たけて人にかみをもたせてくるしき
心ちにからうしてかき給
 かひはなし有ける物を侘果て死
ぬる命をすくひやはせぬと書はつると
絕入給ぬ是を聞てかくや姬少哀とおほ
しけり其よりなん少嬉しき事をはか
ひありとはいひける扨かくや姬皃世に
似すめてたき事を御門きこしめして
內侍なるとみのふさこに宣多のひとの

(30b)身をいたつらになしてあはさなるかくや姬
はいかはかりの女そとまかりてみてまい
れとの給ふさこ承てまかれり竹取の
家に畏るしやうし入てあへり女に內
侍の給仰ことにかくや姬のうちいこに
おはす也よくみて參るへき由の給せつる
になん參りつるといへは更はかく申侍らん
と云て入ぬかくや姬にはやかの大輔にた
いめんし給へといへは能皃にもあらすいかて
みゆへきといへはうたても宣哉帝の

(31a)御使をはいかておろかにせんといへはかくや
姬のこたふるやう帝のめしての給はん事
かしこしとも思はすと云て更にみゆへ
くもあらすむめる子のやうにあれといと
心はつかしけにおろそかなるやうにいひ
けれは心のまゝにもえせめす女內侍
のもとに歸り出て口惜此幼き物はこは
く侍る物にてたいめんすましきと申內
侍必み奉りてまいれと仰事有つるも
のをみ奉らてはいかてか歸まいらん國(*6)玉の

(31b)仰事をまさに世に住給はん人のう
け給たまはては有なんやいはれぬ事な
し給そとこと葉はつかしくいひけれは是
を聞てましてかくや姬きくへくもあ
らす國王の仰ことをそむかはやころし
給てよかしと云此內侍歸參て此由そう
す御門聞召て多の人ころしてける心
そかしとの給てやみにけれと猶おほ
しめしおはしまして此女のた
はかりにやまけんとおほして仰給

(32a)汝かもちて侍かくや姬奉れかほ皃能と
きこしめして御使を給しかとみへす
成にけりかくたひ〳〵しくやはなら
はすへきと被<v>仰翁畏る御返事申やう
此めのわらはたへて宮つかへつかうまつ
るへくもあらす侍をもて煩侍るさり
ともまかりて仰給はんと奏す是を
聞召ておほせ給なとか翁の手おふ
したてたらん物を心にまかせさらん
此女若奉る物ならは翁にかうふりを

(32b)なとか給はせさらん翁喜て家に歸り
てかくや姬にかたらふやうかくなん御門
の仰給へる猶やはつかうまつり給はぬ
といへはかくや姬答て云もはらさやう
の宮つかへつかうまつらしと思ふをし
ゐてつかうまつらせ給はゝ消させなんす
みつかさかうふりつかうまつりてしぬ
はかり也翁いらふやうしな給そつかさかう
ふりも我子をみ奉らては何にかせん
さはありともなとか宮つかへをし給はさら

(33a)むしに給へきやうや有へきと云猶そ
らことにつかうまつらせてしなすや有
とみ給へあまたの人の志おろかならさりし
をむなしくなしてしこそあれ昨日
御門の宣はん事に人きゝやさしといへは
答て云天下の事はとあり共かく
あり共御命のあやうきこそ大キなるさ
はりなれは猶かくつかうまつらましきこ
とを參て申さんとてつかうまつれは宮
つかへに出したてはしぬへしと申みや

(33b)つこ丸か手に生れたる子にもあらす
昔山にて見付て侍るか我に心はせ
も世の人ににすそ侍ると奏せさす
帝仰の給はく宮つこ丸かいゑは山本近[ク]
なり御狩の行幸し給はんやうにて見
てんやとの給はす宮つこまろか申やう
いとよき事也何か心へなくて侍らんに
與風行幸して御覽せられなんとそう
すれは御門俄日をさためて御狩に
いて給てかくや姬の家に入給てみ給

(34a)に光みちてけうらにていたる人あり
是ならんと思して逝て入袖をとらへた
まへれは面をふたきてさふらへとはしめ
よく御覽しつれはたくひなくめてたく
おほえさせ給てゆるさしとすとていて
おはしまさんとするにかくや姬答て奏
すおのか身は此國に生れて侍らはこそ
つかひ給はめいておはしましかたくや侍
らんと奏す御門なとかさあらん猶出
おはしまさんとて御輿を寄給に此かく

(34b)や姬きとかけに成ぬはかなく口おしと思
して更は御供にはいていかし本の
御皃に成給ね其をみてたにかへらん
と被<v>仰れはかくや姬もとのかたちに成
ぬ帝猶めてたくおほしめさるゝ事せ
きとめかたしみせつる宮つこ丸をよ
ろこひ給扨つかうまつる百官人々あるし
いかめしうつかうまつる御門かくや姬を
留てかへり給はんことをあかす口惜思召
けれと靈を留めたる心ちしてなんかへらせ給

(35a) かへるさの御幸物うくおもほして
そむきてとまるかくや姬故御返事
 葎はふ百にも年はへぬる身のな
にかは玉の臺をもみん是を御門御覽
していとゝかへり給はん空もなくおほさるれ
と去とて夜を明し給へきにあらねは
歸らせ給ぬ常につかうまつる人をみ給
にかくや姬のかたはらによるへくもあ
らさりけり人よりはけうらなりとおほし
ける夜のかれにおほし合れは人にもあらす

(35b)かくや姬のみ御心に懸りてたゝ獨住し
給よしなく御方〳〵にも渡給はすかくや
姬の御もとにそ御文を書せかよはせ給御
返事さすかににくからす聞かよはせ給て
面白[ク]木草につけても御哥をよみて
つかはすかやうにて御心をたかひに(*7){■}め
給ほとに三年計有て春のはしめより
かくや姬月の面白う出たるをみて常よ
りも物おもふ樣也有人の月のかほみるは
いむことゝせいしけれ共ともすれは人

(36a)まにも月をみてはいみしく鳴給七月十
五日の月に出給てせちに物思へる氣
色なり近くつかはるゝ人々竹取の翁に
吿て云かくや姬例も月を哀かり給へ
とも此比と成てはたゝ事にも侍らさり
しいみしくおほし歎く事有へし
能々み奉らせ給へと云を聞てかくや
姬云やうなんてう心ちすれはかく物を
思ひたるさまにて月をみ給そうまし
き世にと云かくや姬これは世閒心ほ

(36b)そく哀に侍るなてう物をなけきは
むへるへきと云かくや姬の有所にいたりてみれ
は猶物思へる氣色なり是をみてあか
佛何事を思給そおほすらん事何事
そといへは思ふ事もなし物なん心ほそき
といへは翁月なみ給そ是をみ給へは物
おほす氣色は有そといへはいかて月を
みてはあらんとて猶月出れは出給つゝ
歎思へり夕闇には物おもはぬけしき
なり月の程に成ぬれは猶時々は

(37a)うち歎なとすこれをつかう者共なをお
ほす事有へしさゝやけと親をはしめて
何事とも不<v>知八月十五日はかりの月
に居てかくや姬いといたくなき給人めも
今はつゝみ給はす是をみておやとも
何事そと問さはくかくや姬なく〳〵云
さき〳〵も申さんとおもひしかとも必心
まといし給はん物そと思て今まて過
し侍つる也さのみやはとてうち出侍
ぬるそおのか身は此國の人にもあらす

(37b)月の都のもの也其を昔の契有に
よりてなん此世界には詣來りける今は
歸へきに成にけれは此月の十五日に
かのもとの國より迎に人々詣こんすさ
らすまかりぬへけれはおほしなけかんか
悲しさに此春より思歎侍る也と云ていみ
しくなくをこはなてう事を宣そ竹
の中よりみつけ聞えたりし時なたねの
おほきさにおはせしを我たけ立雙
まて養奉りたる我子を何人か迎に

(38a)こんまさにゆるさんやといひて我こそしな
めとてなきのゝしる事いと堪かたけ也かく
や姬云月の都の人にて父母あり片
時の閒とてかの國より詣越かともかく
此國にはあまたの事をへぬるになん
有ける彼國の父母の事をもおほえす
爰にはかく久あそひ聞えてならひ奉
れりいみしからん心ちもせす悲しく
のみある去とおのか心ならすまかりなんと
するといひて諸共にいみしくなくつ

(38b)かはるゝ人々も年比ならひて立別なん
ことを心はえなとのあてやかにうつくしかり
つることをみならひて戀しからん事の
堪かたくゆみつのまれす同心に歎かし
かりけり此事を帝聞召て竹取か家
に御使つかはす御使竹取出合てなく
事限なし此事をなけくに鬚も白[ク]
こしもかゝまり目もたゝれにけり翁
今年は五十はかり也けれ共物思ふには
片時になん老に成にけりとみゆ御

(39a)使仰ことゝて翁に云いと心くるしく
物思ふなるは誠かと仰給竹取なく〳〵
申此十五日に月の都よりかくや姬む
かいに詣くなるたうとく問せ給此十
五日には人々給て月の都の人詣こは
とらへさせと申御使かへり參て翁の有
樣奏しつる事共申を聞召て宣一
めみ給し御心にたに忘給はぬに明
暮みなれたるかくや姬をやりてはい
かゝおもふへき彼十五日司々に仰て勅使

(39b)には少將高野の大くにと云人をさして
六衞の司合て二千人のひとを竹取か
家につかはす家にまかりて築地
の上に千人屋の上に千人家の人々
いと多かりけるに合てあける隙も無
まもらす此まもる人々も弓矢をたいし
ており屋のうちには女とも番に
おりてまもらす女ぬりこめの內にかく
や姬をいたかへており翁もぬりこめの戶
をさして戶口におり翁の云かはかりま

(40a)もる所に天の人にもまけんやと云て
屋の上におる人々に云露も物空に
かけらは與風ころし給へまもる人々の云か
はかりしてまもる處にかはり一たに
あらは先いころして外にさらんと思ひ
侍りと云翁是を聞てたのもしかり
おり是をきゝてかくや姬はさし籠て
まもり戰へきしたくみをしたりともあ
の國の人をえたゝかはぬ也弓天して
射られしかくさし籠てありともかの

(40b)國の人こは皆あけなんとする閒たゝかはん
とするとも彼國の人きなはたけき心
つかう人よもあらし翁の云やう御迎に
こん人をは長き爪してまなこをつかみ
つふさんとさかかみを取てかなくりおとさん
さか尻をかき出てこゝらの大やけ人に
みせてはちをみせんとはらたちおる
かくや姬いみしこはたかにな宣そ屋の
うへにおる人ともの聞にいとまさなし
いますかりつる志ともを思ひも知て

(41a)まかりなんする事の口惜侍けり長キ
契りのなかりけれは程なくまかりぬへ
きなめりとおもふ悲しく侍る也かへりみを
聊たにつかうまつらてまからん道も
安くも有ましきに日比もおゐて
今年はかりの暇を申つれ共更にゆるさ
れぬによりてなんかく思ひ歎侍る御
心をまとはしてさりなん事の悲しく
たへかたく侍也彼都の人はいとけうら
にて老をせすなん思ふ事も無侍也

(41b)去處へまからんするもいみしくも侍らす
老おとろへ給へる樣を見奉らさらんにて
戀しからめと云て翁むねいたき事な
し給そうるはしき姿したるつかひにもさ
はらしとねたみおり懸る程に宵打
過て子の時はかりに家のあたりひるの
あかさにも過て光たりもち月のあか
さを十合たる計にてある人のけのあな
さへみゆる程也大空より人雲に乘
ておりきて土より五尺はかり上りたほとに

(42a)たちつらねたり是をみて內外なる人
の心とも物におそはるゝやうにて相戰
はん心もなかりけりからうしておもひおこ
して弓矢を取たてんとすれ共手に
力もなく成てなへかゝりたり中に心
さかしき者ねんして射んとすれ共外
さまへいきけれはあれも戰はて心ちたゝ
しれにしれてまもりあへりたてる人
共そうそくのきよら成事物にもにす飛
車ひとつくしたりらかひさしたり其

(42b)中に王とおほしき人家に宮つこ丸ま
うてこと云に武[ク]おもひつる宮つこ丸も
物にゑひたる心ちしてうつ臥にふ
せりいはく汝幼き人いさゝかなるを翁せん
を作りけるにより汝かたすけに
とてかた時の程とて下しをそこら
の年比そこらの金給て身をかへたるか
こと成にたりかくや姬つみを作り給
へりけれはかく賤しきおのれかもとにし
はしおはする也つみの限果ぬれはかくむ

(43a)かふるを翁はなき歎あたはぬ也はやい
たし奉れと云翁答て申かくや姬を
養奉事共廿余年に成ぬかた時と
宣にあやしく成侍ぬ又こと所にかく
や姬と申人そおはすらんと云爰におは
するかくや姬はおもき病をし給へはえ
おはしますましと申せは其氣色はな
くて屋のうへに飛車を寄ていさかく
や姬きたなき處にいかて久おはせんと
云たて籠たる所の戶則たゝあき

(43b)あきぬあきぬかうしともゝ人はなく
してかくや姬とに出ぬえ留むまし
けれはたゝさしあをむきてなきおる
竹取心まとひて鳴ふせる所に寄て
かくや姬云こゝにも心にもあらてかくま
かるのほらんたにみおくり給へといへ共何
しに悲しきに見送り奉らんと我を
いかにせよとてか捨ては上り給そ
くしていておはせねとなきふせれは
御心ちまとひぬふみを書てまからん戀

(44a)しからん折〳〵取出てみ給へとてうちな
きてかくこと葉はかく此國に生れぬる
とならはなけかせ奉らぬ程迄侍へきを過
別ぬる事かへす〳〵本意なくこそおほ
ゆれぬきて置衣をかたみにみ給へ月の出
たらん夜はみおこせ給へみ捨奉りて
まかる空よりも落ぬへき心ちすると
書置天人の中にもたせたる箱あり
天羽衣いれり又あるは不死の藥入り
ひとりの天人つほなる御藥奉れきた

(44b)なき所の物きこしめしたれは御心ち
あしからん物そとてもて寄たれはいさ
さかなめ給て少形見とてぬきをく衣に
つゝまんとすれは有天人つゝませす御
そを取出てきせむとす其時かくや姬
しはしまてと云衣きせつるひとは心
ことに成也といふ物一言いひ置事ありとて
文をかく天人おそしと心元なかり給かく
や姬物知ぬ事な宣そとていみしくしつ
かに大やけに御ふみ奉り給あはてぬ樣也

(45a)かくあまたの人を給て留めさせ給へと
ゆるさぬ迎に詣きて取出まかりぬれ
は口惜かなしき事宮つかへつかうまつ
らす成ぬるもかくわつらはしき身
にて侍れは心えす被<v>思召つらめ共心つ
よくうけたまらはす成にし事なめけ
なる者に思召留められぬるなん心に
とまり侍ぬとて
 今はとて天の羽衣きるおりそ君
をあはれとおもひしりぬるとて坪のく

(45b)すりそへて頭中將呼寄て奉らす中將
に天人取て傳中將取つれはふと天の
羽衣きせ奉りつれは翁をいとをしかな
しとおほしつる事もうせぬ此衣き
つる人は物思ひなく成にけれは車に
乘て百人はかり天人くしてのほりぬ其
後翁女血の淚をなかしてまとへと
かひなしあの書置し文を讀きかせ
けれと何せんにか命もおしからん誰爲
にか何事も用もなしとて藥も

(46a)くはすやかて起もあからすやみふせり中
將人々引くして歸り參てかくや姬を
え戰とめす成ぬる事こま〳〵とそ
うす藥の坪に御ふみそへて參らすひろ
けて御覽していといたく哀からせ給て物
もきこしめさす御遊なともなかりけり
大臣上達部を召ていつれの山か天に近[キ]
ととはせ給に有人奏す駿河の國に
有なる山なん此都も近く天も近く侍る
と奏す是をきかせ給て

(46b)逢事も淚にうかふ我身にはしな
ぬくすりも何にかはせんかの奉る藥に
又坪くして御使に給はす勅使には月の岩か
さといふ人を召て駿河國にあなる山のいた
たきにもて著へき由仰給嶺にてすへき
やうをしへ給御文藥の坪雙て火をつけて
もやすへきと仰給其由承て兵ともあ
またくして山へのほりけるよりなん其山を
ふしの山とは名付ける其煙未[ニ]雲のなかへ立
のほるとそ云つたへたる


(*1)3a-4「樣」 樣字の一體の如し。本文篇「樣」。本文集成「き」。
(*2)5a-3「て」 濁點あり。
(*3)9a-4「十」 竪畫見え「廿」の如くも見ゆれど、筆意、本文中の「廿」三例と異にて、なほ「十」十二例に等しければ、
 「十」と定むべし。「十」字例は、4b-3・7b-2・11a-2・17a-3・36a-1・37a-3・37b-3・38b-9・39a-3・39a-4・39a-10・ 41b-8。「廿」字例は、26a-7・26b-9・43a-3。他本亦「十」。
(*4)13a-5「て」 濁點あり。
(*5)17b-1「{寶々}」 不審。本文篇「寶々」。同解題に云「この寶〻の二字は、原本では「■〻」と記されてゐるので、右
  のやうに讀んだのである。これは寶の草體の「■」が二つに分れたものと思はれる」。中田氏校異篇も「寶々」に從ふ。
  本文集成「寳」。
(*6)31a-10「玉」 底本マヽ。誤字なるべし。
(*7)35b-6「{■}」 不審。字形「(禾-攵)/心」の如し。本文篇、字形の如く活字作れり。同解題に云「■の字は、古い字書に
 も見ることが出來なかつた」。疑ふらくは、「愁」か「愍」かの譌か。但し、「なぐさむ」の訓の證例を今見出だし得ず。

(平成廿九年十月廿一日翻字了 春明)
(平成廿九年十一月三日以影印本一校了 DK)
(平成廿九年十一月六日再校 春明 協力を賜りたるDK氏に厚く感謝の意を表す)