『竹取物語』神嶌校訂版(draft)
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【平成三十年四月三十日・第一校訂了】
【令和二年三月十四日・第二校訂了】
【校訂凡例】
底本は新井本の翻刻本文を用い、以下の『竹取』伝本四種、及び古文献四種で以て対校した。
@後光厳院本 赤字
A三手文庫本 青字
B紹巴本 橙字
C武藤本 緑字
❶『風葉和歌集』桂切丙本(鎌倉末期写本ノ透写本)収載和歌本文 紺字
❷『源氏物語提要』(1432年)収載本文 紫字
❸『海道記』尊経閣文庫蔵1454年写本 灰字
❹『花鳥余情』(1472年)収載本文 朱字
また、校訂者の私見によって改めた箇所には、下線を付した。
※これは、「一先ず読めるように」校訂した本文であり、厳密な学術的検討を経たものではないことを付言する。
〔第一章〕 かぐや姫の誕生
今は昔――
『――“竹取の翁”といふ者ありけり。野山なる竹を取りて、万の事に使ひけり。名をば、《榊造》となむいひける』
◆
その竹の中に、もと光る竹一筋あり。怪しがりて寄りて見るに、筒の中光りたり。それを見れば、三寸ばかりなる人、いとうつくしうて居たり。
翁いふやう、
「我、朝ごと夕ごとに見る竹の中におはするにて知りぬ。子になり給べき人なんめり」
とて、手に入れて、家に持て来ぬ。妻の女に預けて養はす。うつくしきこと限りなし。いと幼ければ、籠に入れて養ふ。竹取の翁、猶竹を取るに、この子を見つけて後取る竹に、節を隔てて殊に、黄金ある竹見つくる事重なりぬ。かくて翁、やうやうゆるらかになり行く。
この稚児、養ふ程に、すくすくと大きになりまさる。三月ばかり養ふ程に、良き程なる人になりぬれば、髪上げなと相して、髪上げさせ、裳着す。帳の内よりも出さず、いつき養ふ。この稚児の容貌の清らなる事世になく、屋の内は暗き処なく光満ちたり。翁の心地悪しく苦しき時も、この子を見れば苦しきことも止みぬ。腹立たしきことも慰みけり。翁、竹を取る事久しくなりぬ。勢、真の者になりにけり。
この子いと大きになりぬれば、この子の名を、御室秋田を呼びて付けさす。秋田、《弱竹のかぐや姫》と付けつ。この子、一日、打ち上げ、打ち上げ遊ぶ。万の遊をぞしける。男は上下選ばず呼び集へて、いと賢く遊ぶ。
〔第二章〕 貴公子達の求婚
世界の男子の、貴なるも賤しきも、
「いかで、このかぐや姫を得てしがな……」
とぞ、音にも聞き愛でて、そのあたりの垣にも家の戸にも、(居る人だにたやすく見るまじき物を)、夜は安く寝も寝ず、闇の夜に出でても、穴を抉り、垣間見、惑い合へり。かかる時よりなん、“夜這い”とはいひける。
人の音もせぬ所に惑い歩けども、何のしるし、あるべくもなし。家の人どもに、
「物をだにいはん」
とて言い掛かれど、事ともせず。
あたりを離れぬ君達、夜を明かし日を暮らせる、いと多かり。
疎かなる人は、
「用なき歩きは、由なかりけり……」
とて、来ずなりにけり。
その中に尚いひけるは、色好みといはるる限り五人、思ひ止む時なく、夜昼来けり。その名どもは、
l 石作御子
l 車持御子
l 右大臣・阿倍御主人
l 大納言・大伴御行
l 中納言・石上麻呂足
――この人たちなりけり。
世中に多かる人をだに、少しも容貌良しと聞きては、見まほしくする人どもなりければ、かぐや姫を得まほしくて、物も食はずして思ひつつ、かの家に行きて佇み歩けど、甲斐あるべくもあらず。文を書きて遣れども返事もせず。わひうたなど書き遣すれど、甲斐なしと思へど、霜月師走の降氷、水無月の照りはたたくにも、障らず来けり。
この人々、ある時は竹とりを呼び出でて、
「御娘をくれ給へ!」
と伏し拝み、手を取りて宣へど、
「己が成さぬ子なれば、心にも従はず……」
などいひて、月日を過す。かかればこの人々、家に帰りて物を思ひ、祈をし、願を発つ。されども、思ひ止むべくもあらず。かく思ひいふ事止まず、
(さりとも、終にに男あらせざらんやは)
と思ひて、頼を掛けたり。強ちに、心ざしを見えんとす。
これを見詰みて、翁、かぐや姫にいふやう、
「我子の仏。變化の人と申ながら、ここら大きさまで撫で果し、養ひ奉りつ。心ざし疎かならずば、翁の申さむ事は聞き給てんや」
といへば、
「何事をかは、宣はむ事は承らざらむ。變化の者にて侍けむ身をも知らず、親とこそ、思ひ奉れ」といふ。
翁、
「嬉しくも、宣ふ物かな。翁、歳七十にあまりぬ。今日明日とも知らず。この世の人は、女は男に逢ふ事をす。その後、門広くもなり侍る。いかでか、さることなくてはおはせん」
かぐや姫いはく、
「なんでう、さる事かし侍るべき?」
といへば、
「變化の人といふとも、女の身を持てり。翁のあらむ限りは、かくてもいますがらんかし。この人々の、年月を経てかくのみいましつつ、宣ふことを思ひ定めて、逢ひ給ね」
といへば、かぐや姫いはく、
「良くもあらぬ容貌を……。深き心ざしを知らず、徒心つきなば、後、悔しき事もあるべきを、と思ふばかりなり。世の畏き人なりとも、深き心ざしを知らでは、逢ひ難しとなむ思ふ」
といふ。
翁いはく、
「思ひの如くも、宣ふかな。そもそも、いかやうなる心ざしに逢ひ給はむと思すらん。心ざし、疎かならぬ人々にこそあんめれ」
かぐや姫のいはく、
「何ばかりの心ざしを見むとか? 些かなる事なり。人の御心ざしは等しかんなり。いかでか、これが中に、劣り優りは知らむ。
『五人の人の中に、ゆかしき物を見せ給はむに、御心ざし優りたり、とて、仕うまつらむ』
と、そのおはすらむ人に申給へ」
といふ。
「良き事なり」
と承けつ。
◆
やうやう、日暮るる程に、例の如く来、集まりぬ。或は笛を吹き、或は唄を歌ひ、或は唱歌をし、或は嘯き、扇を打ち鳴らしなどするに、翁出でていはく、
「忝なく、穢き所に、年月を経て物し給、極まりて畏まり申。
『翁、命、今日明日知らぬを、かく宣ふ君たちにも、よく思ひ定めて仕うまつれ』
と申も理なり。
『いづれも劣り優りおはしまさねば、定め難し。ゆかしく思ひ侍る物の侍るを見せ給はむに、御心ざしの程は見ゆべし。仕うまつらむ事は、それになむ定むべき』
といへば、これ、良き事なり。人の御恨み言、あるまじ」
といふ。五人の人々も、
「良き事なり」
といへば、翁入りてかぐや姫にいはく、
「石作御子には」
「《仏の御石の鉢》といふ物あり。それを取りて給へ」
「車持御子には」
「東の海に、《蓬莱》といふ山あんなり。そこに、《白銀を根とし、黄金を茎として、白き玉を実としたる木》あり。それ、一枝折りて給はらむ」
「今一人には」
「唐土にあんなる、《火鼠の皮衣》を給へ」
「大伴の大納言には」
「《龍の首に五色に光る玉》あんなり。それとりて給へ」
「石上の中納言には」
「《燕の持たる子安貝》 、一つ取りて給へ」
といふ。翁、
「難き事どもにこそあんなれ。この国にある物にもあらず。かく難き事をば、いかで申さむ」
といふ。かぐや姫の宣はく、
「何か難からむ?」
といへば、翁、
「ともあれかくもあれ、申さむ」
とて出でて、
「かくなむ。この物をなむ、聞ゆるやうに見せ給へ」
といへば、御子たち、上達部聞きて、
「おいらかに、
『このあたりよりだに、な歩きそ』
とやは、宣はぬ」
といひて、からうじて、皆帰りぬ。
〔第三章〕 仏の御石の鉢
猶、この女見では、世にあるまじき心地どもなんしければ、
(天竺にある物も、持て来ぬ物かは)
と思ひ巡らして、石作御子は、心の支度ある人にて、
(天竺に二つとなき鉢をば。――八千里の程行きたりとも、いかでか取るべき)
と思ひて、かぐや姫の元には、
「今なむ、天竺へ、石の鉢取りにまかる」
と聞かせて三年ばかり、大和国十市郡にある山寺に、賓頭盧の前なる鉢の、只黒に竈墨つきたるを取りて、錦の袋に入れて、作り花の枝につけて、かぐや姫の家に持て来て見せければ、かぐや姫怪しがりて見れば、鉢の上にも文具したり。広げて見れば、かくなり。
海山の 道に心は つくしてき ないしの鉢の 涙流れき
かぐや姫、光やあると、とばかり見るに、蛍ばかりの光だになし。
置く露の 光をただぞ 宿さまし 小倉山まで 何訪ねけん
とて、返して出だす。鉢を門に捨てて、この御子歌の返しをす。
白山に 逢へば光の 失するかと 鉢を捨てても 嘆かるるかな
と詠みて入れたり。かぐや姫、返しせずなりぬ。耳にも聞き入れざりければ、言ひ煩ひて帰りぬ。
かの鉢を捨て、又いひけるを聞きてぞ、思ひ嘆きをば、
“はぢを捨つ”
と、いひける。
〔第四章〕 蓬莱の玉の枝
車持御子は、心謀りある人にて、朝廷には、
「筑紫国に、湯浴みにまからむ」
と、暇申て、かぐや姫には、
「玉の枝、取りにまかる」
といはせて下り給はんに、仕うまつるべき人は皆、難波まで御送りしけり。御子、いと忍びて、人も数多率ておはしまさで、
「近う仕うまつる人どもの限りしておはしましぬ」
と、人には知らせ見せ給ひて、三日ばかりありて漕ぎ帰り給ぬ。
予てこそ、皆仰せられたりければ、その時一つの宝なりける鍛冶匠六人を召し取りて、たはやすく人寄り来まじき家を造りて、竈を三重にして籠めて、匠らを入れ給つ。御子も同じ所に隠れ居て、識らせ給へる限り、十二方を塞ぎ、上に口を開けて、玉の枝を作り給。かぐや姫の宣ふやう、違はず作り出でつ。
賢く謀りて、密かに難波に出ぬ。
「船に乗りて、帰りにけり」
と殿に告げ遣りて、いといたく苦しがりて居給へり。迎へに人多く参りたり。玉の枝は長櫃に入れて、物覆いて持て参る。いつか聞きけむ、
「車持御子は、優曇華の花持ちて上り給へり!」
とて、ののしりけり。これをかぐや姫聞き給て、
「我はこの御子に負けぬべし……」
と、胸潰れて思ひけり。
かかる程に、門を叩きて、
「車持御子、おはしたり」
と告ぐ。
「旅の御姿ながら、おはしましたり」
といへば、翁会ひ奉る。
御子宣はく、
「命を捨ててなむ、かの玉の枝取りてまうで来たる。かぐや姫に、とく見せ奉り給へ」
といへば、翁、持て入ぬ。この玉の枝に、文ぞつけたりける。
いたづらに 身はなしつとも 玉の枝を 手折らで更に 帰らましやは
これをもあはれとも見て居るに、竹取の翁、走り入りていはく、
「御子に申給し蓬莱の玉の枝を、一つの所誤たず、持ちておはしませり。何をもちてか、更にとかく申べき……旅の御姿ながら、我家へも寄り給はずしておはしたり。はや、御子に逢ひ仕うまつれ!」
といふに、物もいはで、頬杖をつきて、いみしう嘆かしげに思ひたり。この御子、
(今さへ、何と宣ふべきならず)
といふままに、縁に這い登り給ひぬ。翁、理に思ふ。
「この国に見えぬ様なる玉の枝なり。この度は、いかでか否び申さむ。人様も善き人におはす」
などいひ居たり。かぐや姫のいふやう、
「親の宣ふ事を、ひたぶるに、否と申さむことの愛しさに、なり難き物を……。かく浅ましく持て来たる事を、妬く思ふ……!」
翁は閨の中を、設らいなどす。
◆
翁、御子に申やう、
「いかなる所にか、この木は候ひけん? 奇しく麗しく、めでたき物にこそ」
と申。御子答へて宣はく、
「一昨々年の如月の十日頃より、難波より船に乗りて、海の中に出でて、行かむ方も知らず覚えしかども、思ふ事成らで、世中に生きて甲斐なし。風に任せて歩く。命死なば、いかがせん……生きてあらむ限り、かく歩きて、
『《蓬莱》といふなる、山はありや』
と海に浮き、漂ひ歩く。我国の内を離れてまかり歩きしに――
――ある時には、波荒れつつ、海の底に入りぬべく――
――ある時は、風につきて、知らぬ国に吹き寄せられて、鬼のやうなる者出で来て殺さむとしき――
――ある時には、来し方行先も見えぬ海に、巻き入れんとしき――
――ある時には、糧尽きて、草木の根を食物にはしき――
――ある時には、いはむ方なく、むくつけげなる物出で来て、喰いかからんとしき――
――ある時には、海の貝を取りて命を継ぐ――
――ある時には、さる旅の空に助け給ふべき人もなき所に、色々の病をして、行く方空も覚えず、帰らむ所何方覚えず――
船の行くに任せて海に漂ひ、五百日といふ辰の刻ばかりに、海の中に僅かに山見ゆ。船の内をなむ、迫めて見る。海の上に漂へる山、いと大きにてあり。その山のさま、高く麗し。
(これや、求むる山ならむ……!)
と思ひて、流石に怖ろしく覚えて、山の周りを差し巡らかして、三日ばかり見歩くに、天の衣装したる仙女、山中より出で来て、白銀の鋺を持ちて、水を汲み歩く。これを見て、船より降りて、
『この山の名をば、何と申すぞ』
と問ふ。女、答へていはく、
『これは蓬莱の山なり』
といふ。これを聞くに、嬉しき事限りなし。この女、
『かく宣ふは誰ぞ』
と問ふ。
『我が名はこらんなり』
といひて、山の中に入りぬ。
その山を見るに、更に登るべきやうなし。その山の傍平を見上ぐれば、世中になき花の木ともあり。黄金・白銀の水、山より流れ出でたり。それには、色々の玉の橋渡せり。そのあたりに、照り輝く木ども立てり。その中に、この取りてまうで来たるは、いと悪かりしかども、宣ひしに違はず、この花を折りてまうで来たるなり。
山は限りなく面白く、世に例ふべきにあらざりしかど、この枝を折りてしかば、更に何の心もなくて、船に乗りて追風吹きて、四百余日になん、まうで来にし。大願力にやありけん、難波に吹き寄せられて侍し。
難波よりは昨日なむ、都にはまうで来つる。更に、潮に濡れたる衣をだに、脱ぎ替へなでなん、ここにはまうで来つる」
と宣ふを、この翁聞きて、うち泣きて詠む、そのうたは
呉竹の 世々の竹取り 野山にも さやは侘しき 節をのみ見じ
これを御子聞きて、
「ここらの日頃、思ひ侘び侍りつる心地は、今日なむ落ち居ぬる」
と宣ひて、
我が袂 今日乾ければ 侘しさの 千草の数も 忘られぬべし
と聞こゆる程に、男ども六人連ねて、急に出で来たり。一人の男子、文挾に文を挟みて申。
「作物所の匠、漢部内麻呂申さく、玉の枝を作り仕うまつりし事、五穀を断ちて、千余日に力を尽くしたる事少なからず。しかるに、禄、未だ給はらず。これを給て、我らが家子に給はせん」
といひて捧げたり。竹取の翁、
「この匠らが申す事は何事ぞ?」
と怪しがりて傾き居り。御子は我にもあらぬ心地して、肝消え居たまへり。これをかぐや姫聞きて、
「かの奉る文、取れ」
といひて見れば、文に申けるやう、
御子の君、千日、賤しき匠ら諸共に、同じ所に隠れ居給て、畏き玉の木
を作らせ給ふとて、「司も給はん」と仰せ給き。それをこの頃按ずるに、
御使おはしますべきかぐや姫の、要じ給べきなりけり、と承りて、この
宮より給はらむ、とて参れるなり。
といふを聞きて、かぐや姫の暮るるままに思ひ侘びつる心に、笑ひ栄へて、翁を呼び取りていふやう、
「真の蓬莱の木とこそ思ひつれ。かく浅ましき虚言にてありければ、はや返し給へ……♪」
といへば、翁答ふ。
「定かに作らせたる物と聞く。返さむ事いとやすし」
と頷き居り。かぐや姫の心行き果ててありつる歌、返し
真かと 聞きて見つれば ことの葉を 飾れる玉の 枝にぞありける
といひて、玉の枝、返しつ。竹取の翁はさばかり語らひつる上、かすかに覚えて眠り居り。御子は立つも端、居るも端に覚えて居給へり。日の暮れぬれば、滑り出で給ぬ。
かの愁せし匠を、かぐや姫呼び据へて、
「嬉しき人どもなり♪」
といひて、禄いと多く取らせ給。匠らいみじく喜びて、
「思ひつるやうにもあるかな!」
といひて、帰る道にて、車持御子、血の流るるまで調をさせ給。禄得し甲斐もなくてければ、皆々、取り捨て給てければ、逃げ惑ひにけり。
かくてこの御子は、
「一生の恥、これに優るはあらじ。女得ずなりぬるのみにあらず、天下の人の見思はむ事ぞ、恥づかしき事」
と宣ひて、ただ一所、深き山へ入り給ぬ。宮司、候ふ人々は、皆、手を分かちて求め奉れども、え見つけ奉らずなりぬ。御子の御元にては、「隠し果てん」とて、年頃は、
“たまさかなる”
とは、いひ始めける。
〔第五章〕 火鼠の皮衣
右大臣・阿倍御主人は、宝豊かに、家広き人にてぞおはしける。その年来たりける唐土船の、王卿といふ人に、
「火鼠の皮といふなる物、買ひて遣せよ」
とて、仕うまつる人の中に、心確かなる人を遣はす。小野房守といふ人して遣はさす。持て到りて、かの筑紫館といふ所に居る王卿に金を取らす。王卿、この文を広げて見て返事書く。
いはく、
火鼠の皮衣、この国にはなき物なり。名には聞けども、未だ目に見ぬ者多
かり。世にある物ならば、この国へもまうで来なまし。いと難き商物な
り。しかれども、天竺に、偶さかに、持て渡りなば……。もし長者の家々
に訪ひ求めむに、なき物ならば、使に添へて、金を返し奉らん。
といへり。唐土船帰りにけり。
その後、唐土船来けり。
「小野房守、まうで来て、まう上る」
といふ事を聞きて、歩み疾うする馬を求めて走らせて、迎へさせ給はむ時、馬に乗りて、筑紫よりただ七日にまうて来たり。文を見るにいはく、
火鼠の皮、からうじて、人を出して求めて奉れり。今の世にも昔の世にも、
この皮は、たはやすくなき物なりけり。昔、畏き天竺の聖、この国に持
て渡りて、西の山寺に及び、宮廷に申て、からうじて買い取
りて奉る。『価の金少なし』と、国司ぞ使に申しかば、王卿、物加へて買
いたり。今、金五十両給ふべし。船の帰らんにつけてだに送れ。もし金給
はぬ物ならば、皮衣の質を返し賜べ。
といへる事をみて、
「何仰す! 今、金少しにこそあなれ、必ず送るべきにこそあなれ。嬉しくして遣せたるかな」
といひて、唐土の方に向へて、伏し拝み給。
この皮衣入れたる箱を見れば、種々の麗しき瑠璃を彩へて作れり。皮衣を見れば、金青の色なり。毛の末には黄金の光を放きたり。宝と見え、麗しき事、並ぶべき物なし。火に焼けぬ事よりも、清らなる事並びなし。
「むべ。かぐや姫は、好もしがり、逢ひし給けるにこそありけれ」
と宣ひて、
「あな、かしこ……」
とて、箱に入れ給て、物の枝につけて、御身の化粧いといたうして、
(やかて泊まりなむものぞ)
と思ひて、歌詠み具して持ちていましたり。その歌は、
限りなき 思ひに焼けぬ かはごろも 袂かはきて 今日こそは着め
といひたりけり。
家の門に持て到りて立てり。竹取出でて、取り入れたり。かぐや姫に見す。かぐや姫、この皮衣を見ていはく、
「麗しき皮なめり……。別きて、真の皮ならむと知らず」
竹取出ていはく、
「ともあれかくまれ、先づ、請じ入れ奉らむ。世に見えぬ皮の様なれば、『これを』と思ひ給はぬ。人ないたく侘びさせたてまつり給そ」
といひて、呼び据へ奉り、かく呼び据へて、
「この度は必ず逢はせん」
といひて、女の心にも思ひをり。この翁は、かぐや姫の寡婦なるを嘆きとしければ、
(良き人に逢はせん)
と思ひ図れど、切に、
「否」
といふことなれば、え強いぬは理なり。
かぐや姫、翁にいはく、
「この皮衣は火に焼かむに、焼けずはこそ真と思ひて、人の御言に負けめ。世になき物なれば、それを真と疑ひなく思はむ」
と宣ふ。
「猶、これを焼きて試みむ」
といふ。翁、
「これ、さもいはれたり」
といひて、大臣に、
「かくなむ」
といふ。大臣答へていはく、
「この皮は、唐土にもなかりけるを、からうじて求め尋ね得たるなり。何の疑ひかあらむ? さは申すとも、早く焼きて見給へ」
といへば、火の中にうち焚べて焼かせ給ふに、めらめらと焼けぬ。
「――さればこそ。異物の皮なり」
といふ。大臣、これを見給ひて、顔は草の葉の色にて居給へり。かぐや姫は、
「あな、嬉し……♪」
と喜びいます。かの詠み給へりける歌の返し、箱に入れて返す。
名残なく 燃ゆと知りせば 皮衣 思ひの外に 置きて見ましを
とぞありける。されば、帰りいましにけり。
世の人々、
「阿部の大臣、火鼠の皮衣持ていまして、かぐや姫に住み給ふとな? ここにみますがりとな?」
など問ふに、ある人のいはく、
「皮は火に焚べて焼きたりしかば、めらめらと焼けにしかば、かぐや姫、逢ひ給はずなりにき」
と世中の人いひければ、これを聞きてぞ、遂げなき事をば、
“あへなし”
とぞいひける。
〔第六章〕 龍の首の玉
大伴御行の大納言は、我が家の人、ある限り召し集めて宣はく、
「龍の首に、五色に光る玉あんなり。それ取りて、奉りたらむ人には、願はん事を叶えん」
と宣ふ。仰せ言を男子ども、承りて申さく、
「仰せ言は、いとも尊し。但し、たはやすく、その玉え取らじを。人、いはむや、龍の首の玉をば、いかが取らむ」
と申。大納言宣ふ。
「『君の使』といはむ者は、命を捨てても、己が君の仰せ言をば叶へむとこそ思ふべけれ。この国になき、天竺の、唐土の物にもあらず。この国の海山より、龍は降り昇る。いかに思ひてか、汝ら、難き物を、と申すべき?」
男子ども申やう、
「さらば、いかがはせん……。難き事なりとも、仰せ言に従ひて、求めにまからむ……」
と申に、大納言見澄まゐて、
「汝らが『君の使』と名を流しつる、『君』の仰せ言をば、いかが背くべき?」
と宣ひて、龍の首の玉を取りに出だし立て給ふ。この人々の道の糧食物に、殿の内の絹・綿・銭など、ある限り取り出でて添へて遣はす。
「この人どもの帰り来るまで、精進をして我は居らむ。この玉取りえでは、家に帰り来な」
と宣せけり。
おほせ事を承りて、各々まかり出でぬ。
「龍の首の玉取りえずは帰り来な」
と宣へば、何方も何方も、足の向きたらむ方へ徃なんず。
「かかる好事をし給ふ事……」
と謗り合へり。賜はせたる物、各々分けつつ取る。或は己が家に籠もり居ぬ。或は己が行かまほしき所へ往ぬ。
「親君と申すとも、かく付きなき事を仰せ給ふ事……!」
と、図り行かぬ物ゆへ、大納言を謗り合へり。
◆
「かぐや据へんには、例のやうには醜し」
と宣ひて、麗しき屋を作り給ひて、漆を塗り、蒔絵して、屋の上に糸を染めて色々に葺かせ給ふ。内の設らひ、いふべくもあらず。綾織物に絵を描きて、間ごとに貼りたり。元の妻どもは返し給ひて、かぐや姫必ずあらん設をして、元の北の方とは疎くなりて、一人明かし暮らし給。
遣はせし人どもは、夜昼待ち給ふに、年経るまで音もせで、心許ながりて、いと忍びて、ただ舎人二人、召次として、やつれ給ひて、難波の辺に馬に乗りていまして問ひ給ふ事、
「大伴の大納言殿の人や、船に乗りて、龍殺して、そが首の玉とれり、とや聞きし」
と問はするに、舟人答へていはく、
「あやしき事かな」
と笑ひて、
「もはら、さる業する船もなし」
申すに、
(意地なき事する舟人にもあるかな……え知らでかくいふ)
と思して、
「我が弓の力は強きを。龍あらばふと射殺して、首の玉は取りてん。遅く来る奴原を待たじ」
と宣ふ。
船に乗りて海ごとに歩き給ふに、いと遠くて、筑紫の方の海に漕ぎ出でぬ。いかがしけん、疾き風吹きて、世界暗がりて、船を吹き持て歩く。いづれの方と見えず、船は海中に巻き入りぬべく吹き回して、波は船にうち掛けつつ巻き入れ、神は落ち掛かるやうに閃く。
かかるに大納言は惑ひて、
「またかく侘しき目見ず! いかがすべき! いかならむとするぞ……!」
と宣ふに、舵取答へて申、
「ここら船に乗りてまかり歩くに、またかく侘びしき目を見ず! 御船、海の底に入らずば、神、落ち掛かりぬべし! もし、幸ゐに、神の助けあらば、南海道に吹かれおはしぬべかんめり! うたてある主の御供に仕ふまつりて、すゝろなる死をすべかめるかな……!」
と舵取申。大納言これを聞きて宣はく、
「船に乗りては、舵取の申す事をこそ高き山と頼め、などかく頼もしげなくは申ぞ……!」
と面杖をつきて宣ふ。舵取申、
「神ならねば、何業をか仕うまつらむ! 風吹き、波こそ激しけれども、神さへ頂に落ち掛かるやうなるは、龍を殺さむと求め給へばあるなり! 疾風も龍の吹かするなり! はや、神に宣り給へ!」
といふ。
「よき事なり!」
とて、
「舵取の御神、聞し召せ! 心幼く、龍を殺さむと思ひけり! 今より後は! 毛の末一筋をだに! 動かし奉らじ!」
と寿詞を放ちて立ち居、泣く泣く拝み給ふ事、千度ばかり申し給ふ故にやあらん。やうやう神鳴り止みぬ。やうやう少し光りて、風は猶疾く吹く。舵取いはく、
「さればよ……龍の仕業にこそありけれ。この吹く風は良き方の風なり。悪しき方の風にはあらず。良き方に面向きて吹くなり」
といへども、大納言、これをも聞き入れ給はず。
◆
風、二・三日吹きて、吹き返し寄せたり。その浜を見れば、播磨国、明石の浜なりけり。大納言、
(南海の浜に、打ち寄せられたるにやあらむ……)
と思ひて、息づき臥し給へり。
船にある男子ども、国に告げたれども、国司まうで訪らふにも、え起き上がり給はで、船底に臥し給へり。松原に御筵敷きて下ろし奉る。その時にぞ、
(南海にはあらざりけり……)
と思ひて、からうじて起き上がり給へるを見れば、風いと重き人にて、御腹膨れ、此方彼方の御目には、李を二つ付けたるやうなり。これを見て、国司も皆微笑みたり。
国に仰せ給ひて、手輿造らせ給ひて、呻吟ふ呻吟ふ、担はれ上り給ひて、家に入り給へるを、いかでか聞き給けむ、
「龍の首の玉をえ取らざりしかばなむ、殿にもえ参らざりし。玉の取り難かりし事を知り給ひにければなん、勘当あらじ、とて参りつる」
と申。大納言、起き居て宣はく、
「汝ら、よく持て来ずなりぬ……龍は鳴る神の類にこそありけれ。それが玉を取らん、とて、そこらの人々の害せられなんとするなりけり。まして龍を捕らへたらましかば、又ともなく、我は害せられなまし……よくぞ、捕らへずなりにける。かぐや姫といふ大盗人の奴が、人を殺さむとするなりけり。家のあたりをだに、今は通らじ。男子どもも、な歩きそ……」
とて、家に少し残りたりける物を、龍の玉取らぬ者どもに賜びつ。これを聞きて、離れ給ひにし元の上、腹を切りて笑ひ給ける。糸を葺かせて作りし屋は、鳶・烏の巣に、皆、食ひ持て徃にけり。
世界の人のいひける、
「大伴の大納言は、龍の首の玉や取りておはしたる?」
といひければ、ある人ありて、
「いかなるもあらず。御眼二つに、李のやうなる玉をぞ添へていましたる」
といひければ、
「あな、食べ難!」
といひけるよりぞ、世に、合はぬ事をば、
“あな耐へ難”
と、いひ始めける。
〔第七章〕 燕の子安貝
中納言・石上麻呂足、家に仕はるる男子どもの元に、
「燕の巣、食ひたらば告げよ」
と宣ふを承りて、
「何の用にかあらん?」
と申。答へ給ふ、
「燕の持ちたる子安貝を取らん」
と宣ひければ、男子ども答へて申、
「燕を数多殺して見るだにも、儚き物なり。ただし子産む時なむ、いかでか出だすらん、侍ると申す。人見れば失せぬなり」
と申。又、人の申やう、
「大炊寮の飯炊ぐ屋の棟に、筒の穴ごとに燕は巣を食い侍り。それに、忠実ならむ男子どもを率てまかりて、胡床を結ひ上げて、伺はせんにこそ、燕、子産まざらむやは。さてこそ、取らしめ給はめ」
と申す。中納言喜び給ひて、
「おかしき事にもあるかな。元より知らざりけり」
と、
「興あること申したり」
と宣ひて、忠実なる男子ども二十人ばかり遣はして、麻柱に揚げ据へられたり。殿より使、隙なくて、
「子安貝、取りたるか」
と問はせ給ふ。
「燕も、人の数多登り居たるに怖ぢて、上り来ず」
かかる由を申したれば、中納言これを聞きて、
(いかがすべき……?)
と思し扱ふに、かの寮の官人・倉麻呂といふ翁申やう、
「子安貝取らせ給はんと。謀申さむ」
とて御前に参りたれば、中納言、額を合はせて向ひ居給へり。
倉麻呂が申やう、
「この燕の子安貝は、悪しく謀りて取らせ給ふなり。さては、え取らせ給はじ。麻柱におどろおどろしく二十人の人登りて侍れば、荒れて来ず。
せさせ給ふべきやうは――
@皆、この麻柱を壊ちて
A人、皆退きて
B忠実ならむ人ばかりを、粗籠に載せ据へて
C綱を構へて
D鳥の子産まん間に、綱を吊り上げさせて
Eふと子安貝、安らかに取らせ給ひて
――なん、よかるべき」
と申。中納言宣はく、
「よき事なり」
とて、速やかに麻柱壊ちて、人皆帰りぬ。中納言、倉麻呂に宣はく、
「燕は、いかならむ時にか、子産むと知りて、人をば上ぐべき?」
と宣ふ。倉麻呂が申やう、
「燕は、子産まむとする時は、尾を差し上げて、七度廻りてなむ、子は産み出だす。さて七度廻らむ折、引き上げて子安貝は取らせ給へ」
と申に、中納言喜びて、万の人にも知らせ給はで、密かに寮にいまして、男子どもの中に交じりて、夜を昼になして取らしめ給ふ。倉麻呂が申すをいといたく喜び給ひて宣ふ、
「ここにて仕はるる人にもなきに、願を叶ふることの嬉しさ!」
と宣ひて、御衣脱ぎて、被けさせ給て、
「さらば夕さり、この寮にまうで来」
と宣ひて遣はしつ。日暮れぬれば、かの寮にいまして見給ふに、真に、燕、巣作れり。
倉麻呂申やうを承けて廻るに、粗籠に人を乗せて吊り上げさせて、燕の巣に手を差し入れさせて探るに、
「物もなし」
と申すに、中納言、
「悪しく探ればなきなり……!」
と腹立ち給ひて、
「誰かは我ばかり覚えん!」
とて、
「我上りて探らん!」
と宣ひて、籠に乗りて吊られ上りて伺い給へるに、燕、尾を差上げていたく廻るに合はせて、手を差上げて探り給ふに、手に平めく物触る時に、
「我物握りたり、今は下ろしてよ。翁、しえたり!」
と宣ふに、集まりて、疾く下ろさむとて、綱をひきすくして、綱絶ゆる、即ち、屋島の鼎の上に、仰け様に落ち給へり。
人々浅ましがりて、抱へ奉れり。御目は白めて臥し給へり。人は水を掬ひ入れ奉るに、からうじて息出で給へるに、又、鼎の上より、手取る、足取る、下げ降ろし奉る。からうじて、
「御心地はいかが思し召さるる」
と問へば、息の下に、
「物は少し思ゆれども、腰なんえ動かさぬ……。されども、子安貝をふと握り持たれば、嬉しく思ゆるなり。先づ紙燭点して、この貝の顔見む」
と、御髪もたげて、御手を広げ給へるに、燕のまり置きたる糞を握り給へるなりけり。それを見給て、
「あな、甲斐なの業や……」
と宣けるよりぞ、思ふに違ふことをば、
“かひなし”
とはいひ始めける。
貝にもあらず……と見給ひけるに、御心地も違ひて、唐櫃の蓋に入れられ給ひて、家に率て奉る。車に乗り給ふべくもあらず、御腰は折れにけり。
中納言は、かく童げたる業して病むと、人に聞かせじとし給ひけれど、それを病にて、いと弱くなり給ひにけり。貝をもえ取らずなりぬるよりも、人の聞き渡らむ事、日に沿へて思ひ給ければ、ただに病み死ぬるよりも、人きゝのはつかしくおほえ給なりけり。これをかぐや姫聞きて、見舞に遣る歌、
年を経て 波立ち寄らぬ 住吉の まつかひなしと 聞くは真か
とあるを、読みて聞かす。いと弱き心に頭もたげて、人に紙を持たせて、苦しき心地に、からうじて書き給ふ歌、
かひはなく ありける物を 侘び果てて 死ぬる命を すくひやはせぬ
と書き果つるままに、絶え入り給ひぬ。これを聞きて、かぐや姫、
(少し、哀れ……)
と思しける。それよりして、嬉しき事をば、
“かひあり”
といひける。
〔第八章〕 御門の求婚
さて、かぐや姫、容貌の世に似ず愛でたきを、御門聞し召して、
(さりとも、我召さむには、参らざらむやは)
と思し召して、内侍・中臣房子に宣はく、
「多くの人の身をいたづらになして逢はざなるかぐや姫は、いかばかりの女ぞ」
と、
「まかりて、見て申して来」
と宣はすれば、房子、承りてまかれり。竹取の家に、畏まりて、請じ入れて会へり。女に、内侍の宣ふ、
「仰せ言に、
『かぐや姫、いと清らにおはすなり。よく見て参るべき』
由、宣へるになむ、参り来つる」
といへば、
「さらば、かく申し侍らん」
といひて入りぬ。かぐや姫の元に、
「はや、この御使に対面し給へ」
といへば、かぐや姫、
「良き容貌にもあらず。いかでか見ゆべき」
といへば、
「うたて物宣ふかな。はや対面し給へ。御門の君の御使は、いかでか疎かにせん」
といへば、かぐや姫の答ふるやう、
「御門の召して宣はん事、けしう畏しとも思はず」
といひて、更に見ゆべくもあらず。産める子のやうにあれど、いと心恥づかしけに、疎かなるやうにいひければ、心のままにもえ責めず。
翁、内侍の元に返り出でて、
「口惜しく、この幼き者は、強く侍る者にて、対面すまじ……」
と申。
「いかで、『必ず見てまいれ』と仰せ言ありつるものを、見奉らでは、いかでか帰り参らん! 国王の仰せ言は、真も、世に住み給はむ人の、承り給はでありけんや……!? いはれぬ事、なし給そ!」
と、言葉は激しういひければ、これを聞きて、まして、かぐや姫、会ふべくもあらず。
「国王の仰せ言背かば、早う、殺し給てよかし」
といふ。内侍帰り参りて、かぐや姫の見えずなりぬる事を、ありのままに奏す。御門聞し召して、
「多くの人殺してける心ぞかし……」
と宣ひて止みにけれど、猶思しおはしまして、
(この女の謀にや負けん!)
と思して仰せ給ふ。
「汝が持ちて侍るなるかぐや姫奉れ。『顔・容貌良し』と聞し召して御使を賜びしかど、甲斐なく見えずなりにけり。かく、怠々しくやは習はすべき」
と仰せらるる。翁承りて、御返事申やう、
「この女の童、絶えて宮仕へ、仕うまつるべくもあらず侍るを、持て煩い侍り。さりとも、まかりて仰せ給はむ」
と奏す。これを聞し召して仰せ給ふ。
「などか、翁の手に負ほしたてたらむ物を、心に任せざらん。この女、もし奉る物ならば、翁に冠を……などか、賜ばざらむ」
と仰せ給ふ。翁喜びて、家に帰りて、かぐや姫に語らふやう、
「かくなむ、御門の仰せ給へる! 猶やは仕うまつり給はぬ」
といへば、かぐや姫答へていはく、
「もし、『さやうの宮仕へ、仕うまつらじ』と思ふを、強ゐて仕うまつらせ給はば、え生けるまじく、消え失せなむず。御司、冠、奉るを思ひて――いかがはせむ、一時ばかり仕うまつりて、死ぬばかりなり」
翁答ふるやう、
「かく忌々しき事、なし給そ。司、冠も、我が子を見奉らずば何にかはせむ。さはありとも、などか宮仕へをし給はざらむ。かからんに、死に給ふべきやうやはある?」
といふ。
「猶、『虚言か』と仕うまつらせて、『死なずやはある?』と試み給へ。数多の人の心ざし、疎かならざりしを、虚しくなしてき。人の思ひは、劣れるも優れるも、同じ事にてこそあれ。昨日今日も、御門の宣はんにつかん、人聞きやさし」
といふ。翁答へていはく、
「天下の事は、とありともかかりとも、御命の危うきこそ、大きなる障なれば、猶叶へ仕うまつるまじき事を、参りて申さむ」
とて、参りて申やう、
「仰せ言の畏さに、女の童を参らせんと仕うまつれば、『宮仕へ出だしたてばただ死ぬべし』と申。造麻呂が手に産ませたる子にもあらず。昔山に見出でたる物に侍り。かかれば、心ばせも世に似ずぞ侍る」
と奏せさす。御門聞かせおはしまして、
「變化の者にて、さいふにこそ。いかがはせむ? 御覧じにだにも、いかでか御らんぜむ?」
と仰せ給ふ。
「これをいかがせむ……」
と奏せさす。御門仰せ給はく、
「造麻呂が家は、山も近くなり。御狩に行幸し給はむやうにては見てんや?」
と宣へば、造麻呂が申やう、
「いとよき事なり! 何心もなくて侍らんに、ふと行幸して御覧ぜんに、御覧ぜられなむ」
と奏すれば、御門仰せ給はく、急に日を定めて、御狩に出で給ふ。
御狩し給ひて、やがてかぐや姫の家に到り給ひて見給ふに、光満ちて、清らにて居たる人あり。
(これなむ……!)
と思して、逃げ入る袖を捕らへ給へれば、面を塞ぎて逃げ合へて、面に袖を置いて候ひければ、初めよく御覧じてければ、類なく愛でたく覚えさせ給ひて、許さじとす、とて、
「率ておはしまさむ!」
とてするに、かぐや姫答へて奏す。
「己が身は、この国に生まれて侍らばこそ使ひ給はめ――いと出でおはしまし難くや侍らん」
と聞こゆ。御門、
「などか、さはあらむ。猶強いておはしなん!」
と仰せ給て、御輿寄せ給ふに、このかぐや姫、急と人の影になりぬ。
(儚く、口惜し……)
と思し召して、
(実に、只人にはあらざりけり……)
と思し召して、
「――さらば、御供には率て行かじ。元の御形となり給ひね。それを見てだに帰りなん」
と仰せらるれば、かぐや姫、例の様になりぬ。御門、猶愛でたく思し召さるる事、堰き止め難し。
かく見せつる造麻呂を喜び給ふ。さて仕うまつる百官の人々に、饗厳しく仕うまつる。御門、かぐや姫をとゝめて帰り給はん事を、飽かず口惜しく思しければ、魂も留めたる心地してなん帰らせ給ける。御輿に奉りて後に、かぐや姫に
帰るさの 行幸物憂く 思ほえて 背きて留まる かぐや姫ゆへ
かぐや姫の返し、
葎這ふ 下にも年を 経ぬる身を 何かは玉の 台をも見む
これを御門御覧じて、いとど帰り給はむ空もなく思さる。御心は更に立ち帰るべくも思されざりけれど、さりとて夜を明かし給べきにあらねば、帰らせ給ぬ。
常に仕うまつる人を見給ふに、かぐや姫の傍らに寄るへくだにあらざりけり。殊、人よりは清らなり、と思しける人の、彼に思し合はすれば、人にもあらず。かぐや姫のみ、御心に掛かりて、ただ一人住みし給ふ。由なく方々にも渡り給はず。かぐや姫の御元に文を書きて通はせ給ふ。御返り流石に難からず聞こへ交はし給ひて、面白く、木草につけても、御歌を詠みて遣はす。
〔第九章〕 天の羽衣
【第一節 終わりの始まり】
かやうにて、御心を互ひに慰め給ふ程に、三年ばかりありて、春の初めより、かぐや姫、月の面白ろう出でたるを見て、常よりも物思ひたる様なり。ある人の、
「月の顔見るは忌む事」
と制しけれども、ともすれば、一人、真面にも、月を見ては、いみしく泣き給ふ。
七月十五日の月に出で居て、切に物思へる気色なり。近く仕はるる人々、竹取の翁に告げていはく、
「かぐや姫、例も月をあはれがり給へども、この頃となりては只事にも侍らざめり。いみじく思し嘆く事あるべし。よくよく、見奉らせ給へ」
といふを聞きて、かぐや姫にいふやう、
「なんでう心地すれば、かく物を思ひたる様にて、月を見給ふぞ。美しき世に」
といふ。かぐや姫のいはく、
「月見れば、世間心細く、あはれに侍る。なでう物をか、嘆き侍るへき」
といふに、かぐや姫のある所に到りて見れば、猶、物思へる気色なり。これを見て、
「吾が仏は、何事を思はせ給ぞ。思すらん事何事ぞ」
といへば、
「思ふ事もなし。物なん、心細く覚ゆる」
といへば、翁、
「月な見給そ。これを見給へば、物思す気色はあるぞ」
といへば、
「――いかでか、月を見ではあらん」
とて、猶、月出づれば、出で居つつ、嘆き思へり。
夕闇には、物思はぬ気色なり。月の程になりぬれば、猶時々は、うち嘆きなどす。これを、仕ふ者ども、
「猶、物思す事あるべし……」
と囁けど、親を始めて、何事とも知らず。
◆
八月十五日ばかりの月に出で居て、かぐや姫、いといたく泣き給ふ。人目も今は慎まず泣き給ふ。これを見て、親ども、
「何事ぞ!」
と問ひ騒ぐ。
かぐや姫、泣く泣くいふ。
「先々も申さむと思ひしかども、『必ず、心惑はし給はん物ぞ』と思ひて、今まで過ごし侍りつるなり……。『さのみやは』とて、うち出で侍りぬるぞ。己が身は、この国の人にもあらず、月の都人なり。それをなむ、昔の契りありけるによりてなん、この世界にはまうで来たりける。今は帰るべき程になりにければ、十五日に、かの元の国より迎へに人々まうて来んとす。更にまかりぬべければ、思し嘆かんが悲しき事を、この春より思ひ嘆き侍るなり……!」
といひて、いみじく泣くを、翁、
「こはなでう事宣ふぞ……! 竹の中より見つけ来たりしかど、菜種の大きさおはせしを、我が丈立ち並ぶまで養ひ奉りたる我が子を、何人か迎へに来む……正に許さむや!」
といひて、
「我こそ死なめ……!」
とて、泣きののしる事、いと耐へ難げなり。
かぐや姫のいはく、
「――月の都の人にて、父母あり。片時の間、とて、かの国よりまうて来しかども――かくこの国には、数多の年を経ぬるになんありける。かの国の父母の事、覚えず。ここにはかく久しく遊び習ひ奉れり。いみじからん心地もせず、悲しくのみある。――されど、己が心ならず、まかりなんとする……」
といひて、諸共にいみじう泣く。仕はるる人々も、年頃習ひて立ち別れなん事を、心映へなど艶やかに、美しがりつる事を見習ひて、恋しからんことの耐へ難く、湯水も飲まれず……同じ心に嘆かしがりけり。
【第二節 護衛作戦の発動】
この事を、御門聞し召して、竹取が家に御使遣はせ給ふ。御使に竹取出会ひて、泣く事限りなし。この事を嘆くに、髭も白く、腰も屈まり、目も爛れにけり。翁、今年五十ばかりなりけれども、物思ふには、片時になん、老ひになりにけると見ゆ。
御使、仰せ言とて翁にいはく、
「いと心苦しく、物思ふなるは真にか」
と仰せ給ふ。竹取、泣く泣く申す。
「この十五日になむ、月の都よりかぐや姫の迎へにまうで来なり……。尊く問はせ給ふ……。この十五日には、人々給ひて、月の都人まうで来ば捕らへさせん……!」
と申す。御使返り参りて、翁の有様申して、奏しつる事ども申すを、聞し召して宣ふ。
「一目見給ひし御心にだに忘れ給はねば、明け暮れ見なれたるかぐや姫をやりて、いかが思ふべき……」
◆
かの十五日に、寮々に仰せて、勅使、少将・高野大国といふ人を指して、六衛府合はせて二千人の人を竹取が家に遣はす。家にまかりて、築地の上に千人、屋の上に千人、家の人々いと多かりけるに合はせて、空ける隙もなく護らす。この護る人々も、弓矢を帯して居り。屋の内には、女どもを番に居りて護らす。女、塗籠の内に、かぐや姫を抱かへて居り。翁も、塗籠の戸を鎖して、戸口に居り。
翁のいはく、
「かばかりして護る所に、天の人にも負けんや」
といひて、屋の上に居る人々にいはく、
「露の物も空に翔けらば、ふと射む支度し給へ」
護る人々のいはく、
「かばかりして護る所に、蚊・羽蟻一つだにあらば、先づ射殺してむ。矛に捧げんと思ひ侍り」
といふ。翁、これを聞きて頼もしがり居り。
これを聞きて、かぐや姫は、
「鎖し籠めて、護り戦ふべき支度をしたりとも、あの国の人を、え戦はぬなり。弓矢して射られじ。かく鎖し籠めてありとも、かの国の人には、皆開きなむとす。相戦はむとすとも、かの国の人来なば、猛き心使う人もよもあらじ」
翁のいふやう、
「迎へに来む人をば、長き爪して、眼を掴み潰さむ! 逆髪を取りて掻殴り落とさん! さかしりをとりてこゝらのおほやけ人に見せてはちを見せん!」
と腹立ち居る。かくや姫いはく、
「声高に、な宣ひそ。屋の上に居る人どもの聞くに、いとまさなし。――いますがりつる心ざしどもを、思ひも知らでまかりなむずる事の、口惜しう侍りけり。永き契のなかりければ、程なくまかりぬべきなめり、と思ふが悲しく侍るなり。親たちの顧みを、些かだに仕うまつらでまからむ道も、易くもあるまじきに……。日頃もいかで居て、今年ばかりの暇を申しつれど、更に許されぬによりてなん、かく思ひ嘆き侍る。御心をのみ惑はし侍りてまかりなむ事の悲しさ、耐へ難く侍るなり。――かの都人は、いと清らに、老ひをせず、思ふ事なく、賞でたく侍るなり。さる所へまからむずる事、いみじくも覚えず。老ひ衰へ給へる御様を見奉らざらむこそ、恋しからめ……」
といひて泣く。翁いはく、
「胸痛き事、な宣ひそ……。など、麗しき姿ある使にも、障らじ……!」
と、妬み居り。
【第三節 天の羽衣】
かかる程に、宵うち過ぎて、子の刻ばかりに、家のあたり、昼の明さにも過ぎて光りたり。望月の明さを十、合はせたるばかりにて、ある人の、毛の穴さへ見ゆる程なり。
大空より人、雲に乗りて降り来て、土より五尺ばかり上がりたる程に立ち連ねたり。これを見て、内外なる人の心ども、物に襲はるるやうにて、相戦はん心もなかりけり。からうじて思ひ起こして、弓矢を取り立てむやとすれども、手に力もなくなりて、萎へ屈りたり。中に心騒がしき者、念じて射むとすれば、他様へ行きければ、相も戦はで、心地、ただ痴れに痴れて護り合へり。
立てる人どもは、装束の清らなる事、物にも似ず。飛車、一つ具したり。飛車、蓋さしたり。その中に、王と思しき人、
「造麻呂、まうで来」
といふに、猛く思ひつる造麻呂も、物に酔いたる心地して、俯しに伏せり。いはく、
「汝、幼き人。些かなる功徳を、翁作りけるによりて、『汝が助けに』とて、片時の間と思ひて下したりき。そこらの年頃、そこらの黄金を給はりて、身を変へたるが如なりにたり。かぐや姫は罪を作り給へりければ、かく賤しき己が元に、暫しおはしつるなり。罪の限果てぬればかく迎ふるを、翁は泣き嘆く。能はぬ事なり。はや、出し奉れ」
といふ。翁答へて申。
「かぐや姫を養ひ奉る事、二十余年になりぬ。『片時』と宣ふに、怪しく成り侍ぬ。――また、異所に、“かぐや姫”と申す人ぞおはすらん?」
といふ。
「ここにおはするかぐや姫は、重病をし給へば、えこそ出でおはしますまじ……」
と申せば、その返事はなくて、屋の上に飛車を寄せて、
「いざかぐや姫、穢き所に、いかでか久しくおはせん」
といふ。
立て籠めたる所の戸、即ち、ただ開きに開きぬ。格子どもも、人はなくして開きぬ。女の抱きたるかぐや姫、外に出でぬ。え留むまじければ、ただ差し仰ぎて泣き居り。竹取が心惑ひて泣き伏せる所に寄りて、かぐや姫いふ。
「ここにも心にもあらで、かくまかるに……昇らんをだに、見送り給へ」
といへども、
「何しにかは、悲しきに、見送り奉らん! 我をいかにせよ、とて、捨てては昇り給ふぞ! 具して率ておはせ……!」
と嘆き入りて伏せれば、
「――御心、惑ひにたり。文を書き置きてまからん。恋しからん折々、取り出でて見給へ……」
とて、うち泣きて書く言葉は、
この国に生まれぬるとならば……嘆かせ奉らぬ程まで侍らで、過ぎ別れ侍り
ぬるこそ、返々、本意なく侍れ。脱ぎ置く衣を、形見に見給へ。月の出でた
らん夜は、月を見遣せ給へ。見捨て奉りてまかるは、空より落ちぬべき心地
する。
と書き置く。
天人の中に持たせたる箱あり。天の羽衣入れり。またある箱には、不死の薬持たせたり。一人の天人いはく、
「壺なる御薬奉れ。穢き所の物召したれば、御心地悪しからむ物ぞ」
といひて、些か舐め見給ひて、少し、形見、とて、脱ぎ置く衣に包まむとすれど、ある天人ありて包ませず、御衣を取り出でて着せんとす。
その時、かぐや姫、
「暫し待て!」
といふ。
「衣着つる人は、心異になるなり」
といひて、
「――物、一言はいふべき事ありけり」
とて文書く。天人、
「遅し」
とて心許ながり給ふ。かぐや姫いふ、
「かく物思ひ知らぬ事、な宣ひそ」
といひて、いみしく静かに、朝廷に文奉り給ふ。慌てぬ様なり。
かやうに数多の人を賜ひて留めさせ給へど、許さぬ迎へまうで来て、取り
出でまかりぬれば、口惜しく悲しき事……。宮仕へ仕うまつらずなりぬる
も、かく、かく煩はしき身にて侍れば。心得ず思し召されつらめども、心
強く承はらずなりにしを、無礼なる者にのみ、思し留められぬるなむ、心
にいとど、留まり侍ぬる。
とて、
今はとて 天の羽衣 着る時ぞ 君をあはれと 思ひ出ぬる
と聞こえて、壺の薬添へて、頭中将を呼び寄せて奉らす。天人、取りて伝ふ。中将取りつれば、ふと、天の羽衣を着せ奉りつれば、『翁、愛し』と思しつる心も失せぬ。
この衣着つる人は、物思ひなくなりぬれば、車に乗りて、百人ばかりの天人に具して、昇りぬ。
〔第十章〕 後日譚:不死の煙
――その後、翁、女、血の涙を流して喚へど、甲斐なし。かの書き置きし文、読み聞かせければ、
「何せんにか。命、惜しからむ。誰がためにか。何事も、何かは、せむ」
とて、
「用なし」
とて薬も食はず。やがて、起きも上がらで、病み臥せり。
中将、人々率き連ねて帰り参りて、かぐや姫をえ戦い留めずなりぬる由を、細々と奏す。薬の壺に、文を添へて参らす。引き上げて御覧じて、いとどいたくあはれがらせ給ふ。物聞し召さず、殊、御遊などもなかりけり。
大臣・上達部を始めて問はせ給ふ。
「いづれの山か、天は近き」
と。ある人、答へて奏す、
「駿河国なる山なむ、この都も近く、天も近く侍るなる」
と奏す。これを聞かせ給ひて、かぐや姫の歌の返し、書かせ給ふ。
逢ふ事の 涙に咽ぶ 我が身には 死なぬ薬も 何にかはせむ
◆
かの奉る不死の薬の壺添へて、御使に給はす。勅使遣はす。調磐門といふ人を召して、かの駿河国にある山の頂へ、持て届くべき由、仰せ給ふ。峰にてすべきやうを教へ給ふ。文・不死の薬の壺を並べて、火を点けて燃やすべき由を仰せ給ふ。
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『――その由を承りて、士ども、数多具してなむ、かの山へは登りける。その不死の薬を焼きてけるより後は、かの山の名をば、
“ふじの山”
とは名付けける。
今だ、その煙、雲の中へ立ち昇る――』
――とぞ、言ひ伝へたる。
《終》