武藤本『竹取翁物語』


[INDEX] > 武藤本『竹取翁物語』

書誌情報
・国文学者武藤元信旧蔵、その後茨木清次郎(古典文庫本の吉田氏調査時は茨木氏の所蔵)
フランク・ホーレー氏を経て、現在は天理大学附属天理図書館蔵 天正本とも呼ばれる
・題簽は現在失われているが、本書を収める桐箱に「竹取翁物語 上原伊賀守元純筆/外題奥書中院殿也足軒」とあることから
もと「竹取翁物語」なる題簽があったという説がある(古典文庫22 解説p.7、善本叢書解説p.5)
・奥書に次のようにある

借伊賀前司神元純上原手終写功
自加一校畢
 天正廿年林鐘下旬記之
         也足子【花押】
 文禄五壬七六以松下民部少甫述久本重校正了
伊賀前司・神(上原)元純の手を借りて終に写し終えた
自らも一校し終えた
天正20年6月下旬(1592年7月末-8月初)これを記す
也足子
文禄5年閨7月6日(1596年8月29日)松下(民部少輔)述久の本を以て重校を正に終える

 すなわち、1592年に上原元純が書写した本を也足子(中院通勝)が校正し、4年後「松下本」を校合している
 元亀元年(1570)写の紹巴筆本が発見されるまでは、年代の明らかな最古の写本であった
 なお、中院通勝は更に2年後の慶長三年(1598)までに、久曾神甲本(同じく第1類だが
 特異な本文をもつ)の親本を書写したと見られる
・本文は流布本系第1類第1種
 中田氏が『竹取物語の研究 校異篇・解説篇』で指摘している通り、校合された「松下本」は中院通勝と交流のあった
 西洞院時慶の筆になる尊経閣文庫本の系統のもの(=流布本系第3類第2種A群)と見られている
・この本文データ は クリエイティブ・コモンズ 表示 - 継承 4.0 国際 ライセンスの下に提供されていますクリエイティブ・コモンズ・ライセンス

・『竹取翁物語』(吉田幸一校、古典文庫・第二十二冊、1949年)収載の翻刻本文を「SmartOCR Lite Edition 1.0」によって読み取ったデータを底本とし、
 それを『天理図書館善本叢書和書之部 第二十九巻 竹取物語・大和物語』(天理図書館善本叢書和書之部編集委員会編、八木書店・1976)の影印を以て校正した
・見せ消ちを含めた傍書、補入、その他本文上の気になる点は全て*印を付し、ページ末尾にまとめて記す
・補入はほぼ全て小さな「◯」の記号を以てなされている
 当翻刻では全て[]で補入文を囲い、その挿入箇所を明示した
すなわち 「あか◯る」とあり、「◯」に「りた」と傍書する事を”補入「あか[りた]る」”で示す
・なお補入記号は稀に無い場合があり、そこは「補入記号なし」と注記した
・ページ番号[Na/b]は、第N丁表(a)・裏(b)を示す
【更新履歴】
2017.11/16:初版公開
2026.08/16:善本叢書本影印を以て再校了。ページ番号を付し、注を各面の翻刻の直後に移動した。

[1a]
いまはむかし竹とりのおきなといふもの有けり
野山にましりてたけをとりつゝよろつの
事につかひけり名をはさかきのみやつことなむ
いひけるその竹の中にもとひかる竹なむひと
すちありけりあやしかりてよりて見るに
つゝの中ひかりたりそれをみれは三すんはかりなる
人いとうつくしうてゐたりおきないふやうわか
あさことゆふことにみるたけの中におはするにて
しりぬ子となり給へき人なめりとて手にうち

[1b]
いれて*いへゝもちてきぬめの女にあつけて
やしなはすうつくしき事かきりなしいとおさ
なけれはこにいれてやしなふ竹とりのおきな
竹をとるにこの子をみつけて*後に竹とりに
ふしをへたてゝよことにこかねある竹を見つくる
事かさなりぬかくておきなやう\/ゆたかになり
行このちこやしなふ程にすく\/とおほきになり
まさる三月はかりになるほとによきほとなる人
に成ぬれはかみあけなとさうしてかみあけ

*いへゝ:「へゝ」に見せ消ち、「へへ」と傍書
(前の「へ」はほぼ摩滅)
*後:傍書「のち」

[2a]
させ裳きすちやうの*うちもいたさすいつきやし
なふこのちこのかたち*けそうなる事世になく
屋のうちはくらき所なくひかりみちたり翁
こゝちあしくゝるしき時もこの子をみれはくるし
き事もやみぬはらたゝしきこともなくさみけり
おきな竹をとる事久しくなりぬいきおひ
まうのものに成にけりこのこいとおほき
に成ぬれは名をみむろといんへのあき
たをよひてつけさすあきたなよ竹のかくや

*うちも:補入「うち[より]も」
*けそう:「そう」に見せ消ち、「うら」と傍書


[2b]
ひめとつけつこの程三日うちあけあそふよろつ
のあそひをそしけるおとこはうけきらはすよひ
つとへていとかしこくあそふせかいのおのこあてなる
もいやしきもいかてこのかくや姫をえてしかな
見てしかなとをとにきゝめてゝまとふそのあたり
のかきにも家のとにもをる人たにたはやすく
みるましき物を夜るはやすきいもねすやみのよ
に出てあなをくしりかひはみまとひあへりさる
時よりなむよはひとはいひける人の物ともせぬ

[3a]
所にまとひありけともなにのしるしあるへくもみえ
す家の人ともに物をたにいはんとていひかゝれ
ともことゝもせすあたりをはなれぬ君たち夜
をあかし日をくらすおほかりをろかなる人はようなき
*あるきはよしなかりけりとてこす成にけり其
中になをいひけるは色このみといはるゝかきり
五人おもひやむ*時なくよるひるきけるその名とも
石つくりの御子くらもちのみこ左大臣あへのみ
むらし大納言*大伴のみゆき中納言いそのかみのま

*あるき:「る」に傍書「り」
*時:傍書「とき」
*大伴:傍書「おほとも」

[3b]
ろたり此人々なりけり世中におほかる人をた
にすこしも*かたりよしときゝては見まほしう
する人ともなりけれはかくや姫をみまほしう
て*物をくはすおもひつゝかの家にゆきてたゝ
すみありきけれとかひあるへくもあらす文を
かきてやれと返事もせすわひ哥なとかきて
おこすれともかひなしと思へと霜月しはすの
ふりこほりみな月のてりはたたくにもさはらす
きたりこの人々ある時は竹取をよひ出てむすめを

*かたり:「り」を見せ消ち、傍書「ち」
*物を:「を」を見せ消ち、傍書「も」

[4a]
*吾にたへとふしをかみ手をすりのたまへとをのか
なさぬ子なれは心にもしたかはすなんあるといひ
て月日すくす*かゝれはこの人々家にかへり
て物をおもひいのりをし*願をたつ思やむ
へくもあらすさりともつゐにおとこあは
せさらむやはとおもひてたのみをかけたり
あなかちに心さしを見えありくこれを
みつけておきなかくや姫にいふやう我
子のほとけ*變化の人と申なからこゝらおほ

*吾:傍書「われ」
*かゝれは:「か(閑の草体)」に傍書「か」
*願:傍書「ぐはん」
*變化:傍書「へ[ん]げ」(但し「ん」はほぼ擦り消されている)

[4b]
きさまてやしなひたてまつるこゝろさしを
ろかならすおきなの申さん事はきゝ給
てむやといへはかくやひめなにことをかのた
まはん事は*うけけたまはらさらむ變化の物
にて侍けん身ともしらすおやとこそ思たて
まつれといふ翁うれしくものたまふ物かな
といふおきなとし七十にあまりぬけふとも
あすともしらすこの世の人はおとこは女に
あふことをすをんなは男にあふ事をすその

*うけけ:「うけ[け]」の「け」を見せ消ち

[5a]
のちなむ門ひろくもなり侍るいかてかさる
ことなくてはおはせんかくや姫のいはくなむ
てうさることかし侍らんといへはへんけの
人といふとも女の身もち給へり翁のあら
むかきりはかうてもいますかりなむかしこの
人々のとし月をへてかうのみいましつゝのた
まふことをおもひさためてひとり\/にあひ
たてまつり給ねといへはかくや姫いはく
よくもあらぬかたちをふかき心もしらてあた

[5b]
心つきなはのちくやしき事もあるへきを
とおもふはかり也世のかしこき人なりとも
ふかき心さしをしらてはあひかたしと思
といふ翁いはくおもひのことくものたまふ
物かなそも\/いかやうなる心さしあらん人に
かあはむとおほすかはかり心さしおろかならぬ
人々にこそあめれかくや姫のいはくなにはかり
のふかきをかみんといはむいさゝかの事
也人の心さし*ひとしかん也いかてか中にをとり

*ひとしかん也:補入「ひとしか[ら]ん也」

[6a]
まさりはしらむ五人のなかにゆかしき物をみせ
たまへらんに御心さしのまさりたりとてつかう
まつらんとそのおはすらん人々に申給へといふ
よき事なりとうけつ日くるゝほとれいの
あつまりぬあるいは笛をふきあるいは哥
をうたひあるいはしやうかをしあるひはうそ
ふき扇をならしなとするに翁出ていはく
かたしけなくきたなけなる所にとし月を
へて物し給事きはまりたるかしこまりと

[6b]
申す翁の命けふあすともしらぬをかくのた
まふ君たちにもよくおもひさためてつかふ
まつれと申もことはり也いつれもをとり
まさりおはしまさねは御心さしの程はみゆへし
つかふまつらむ事はそれになむさたむへきと
いへはこれよき事也人の御うらみもある
ましといふ五人の人々もよきことなりといへは
翁いりていふかくやひめいしつくりのみこには
仏の御いしのはちといふ物ありそれをとり

[7a]
てたまへといふくらもちのみこには東の海に
ほうらいといふ山あるなりそれにしろかねをね
としこかねをくきとししろき玉をみとしてたてる
木ありそれ一枝おりて給はらんといふ今ひとり
にはもろこしにある火ねすみのかはきぬを給
へ大伴の大納言にはたつのくひに五色に
ひかる玉ありそれをとりて給へいそのかみの
中納言にはつはくらめのもたるこやす
のかいひとつとりてたまへといふ翁かたき

[7b]
事ともにこそあなれこの国にある物にも
あらすかくかたきことをはいかに申さむといふかく
や姫何か*かたらんといへは翁とまれかくまれ申
さむとて出てかくなむきこゆるやうに
いひ給へといへは御こたち*上達部きゝて
おいらかにあたりよりたになありきそとやは
のたまはぬといひてうんしてみなかへりぬ
猶この女みては世にあるましき心ちの
しけれは天竺にある物ももてこぬ物かはと

*かたらん:ママ。
*上達部:傍書「かんたちへ」

[8a]
おもひめくらして石つくりのみこは心のしたく
ある人にて天竺に二となきはちを百千
*萬里の程ゆきたりともいかてかとるへきと
おもひてかくやひめのもとにはけふなん*天竺へ
石のはちとりにまかるときかせて三年
はかり*大和国とをちのこほりにある山寺に
ひんつるのまへなるはちのひたくろに
すみつきたるをとりてにしきのふくろに
入てつくり花の枝につけてかくや姫の

*萬里:傍書「ばんり」
*天竺:傍書「てんぢく」
*大和国:傍書「やまとのくに」

[8b]
家にもてきて見せけれはかくやひめあや
しかりて見るにはちの中に文ありひろけ
てみれは
 *海山の道に心をつくしはてないしのはちの
*涙なかれきかくやひめひかりやあるとみるに
ほたるはかりのひかりたになし
 をく露の*光をたにそやとさましをくら山にて
何もとめけんとて返しいたすはちを門にすてゝ
この哥の返しをす

*海:傍書「うみ」
*涙:傍書「なみた」
*光:傍書「ひかり」

[9a]
 しら山にあへは光のうするかとはちを*捨ても
たのまるゝかなとよみていれたりかくや姫
*返しもせすなりぬみゝにもきゝ入さりけれは
いひかゝつらひてかへりぬかのはちをすてゝ
又いひけるよりそおもなき事をははちをすつ
とはいひけるくらもちのみこは心たはかりある
人にておほやけにはつくしの國にゆあみに
まからむとていとま申て*かくやひめの家には玉の
枝とりになむまかるといはせてくたり給に

*捨て:「捨」に傍書「すて」
*返し:「返」に傍書「かへ」
*かくやひめ:「や」に見せ消ち

[9b]
つかふまつるへき人々みな*難波まて御をくり
しけるみこいとしのひてものたまはせて
人もあまたゐておはしまさすちかうつかうまつる
かきりして出たまひぬ御をくりの人\/見
たてまつりをくりて帰りぬおはしぬと人には
見え給て三日はかりありてこきかへりたま
ひぬかねて事みな仰たりけれはその時ひと
つのたからなりけるかちたくみ六人をめし
とりてたはやすく人よりくましき家をつくり

*難波:傍書「なには」

[10a]
てかまとを三へにしこめてたくみらを入給つゝ
御こもおなし所にこもり給てしらせ*給たる
十六そをかみにくとをあけて玉の*枝つくり
給ふかくや姫のたまふやうにたかはすつくり
いてついとかしこくたはかりてなにはにみそ
かにもて出ぬ舟にのりて帰りきにけりと
*殿につけやりていといたくゝるしかりたる
さましてゐたまへりむかへに人おほくまいり
たり玉の枝をはなかひつに入て物おほひ

*給たる:補入「給たる[かきり]」
*枝:補入「枝[を]」
*殿:傍書「との」

[10b]
てもちてまいるいつかきゝけんくらもちの
みこはうとんくゑの花もちてのほり給へり
とのゝしりけりこれをかくや姫きゝて
我はみこにまけぬへしとむねうちつふれて
思ひけりかゝる程にかとをたゝきてくらもち
のみこおはしたりとつくたひの御すかたな
からおはしたりといへはあひたてまつる御子の
たまはく命をすてゝかの玉の枝もちて
きたるとてかくや姫にみせたてまつり

[11a]
給へといへは翁もちていりたりこの玉
の枝にふみそつきたりける
 いたつらに身はなしつとも玉の枝を手おらて*たゝに
帰らさらましこれをあはれともみてをるに竹とり
のおきなはしりていはくこの御子に申給ひ
しほうらいの玉の枝をひとつの所あやまたす
もておはしませりなにをもちてとかく申へき
たひの御すかたなからわか御家へもより給はすし
ておはしましたりはやこのみこにあひつかふ

*たゝに:「おらて」の左、行間に書く

[11b]
まつり給へといふに物もいはてつらつゑを
つきていみしうなけかしけにおもひたり
このみこいまさへなにかといふへからすといふ
まゝにえんにはひのほり給ぬおきなことはり
に思ふにこの國に見えぬ玉の枝なりこの
たひはいかてかいなひ申さむ*さまもよき人に
おはすなといひゐたりかくや姫のいふやう
おやのゝ給ことをひたふるにいなひ申さん
ことのいとおしさにとりかたき物をかく

*さまも:ママ。

[12a]
あさましくてもてきたる事をねたくおもひ
おきなはねやのうちしつらひなとすおき
なみこに申やういかなる所にかこの木は
さふらひけんあやしくうるはしくめてたき
物にもと申すみここたへてのたまはくさ
をとゝしのきさらきの十日ころに*難波
より舩にのりてうみの中にいてゝゆかむ
かたもしらすおほ*えしかと思ふことならて
世中にいきてなにかせんとおもひしかは

*難波:傍書「なには」
*おほえ:「え(盈の草体)」に傍書「え」

[12b]
たゝむなし風にまかせてありく命しな
はいかゝはせんいきてあらむかきりはかくあり
て*蓬莱といふらむ山にあふやとなみに
こきたゝよひありきてわかくにのうちを
*はなれてありきまかりしにある*時は*浪
あれつゝ海のそこにもいりぬへくあるとき
には風につけてしらぬ国にふきよせ
られておにのやうなるもの出きてころ
さんとしきある時にはきしかた行すゑ*も

*蓬莱:傍書「ほうらい」
*はなれて:「は(者の草体)」に傍書「は」
*時:傍書「とき」
*浪:傍書「なみ」
*も:「も(裳の草体)」に傍書「も」

[13a]
しらすうみにまきれんとしきあるとき*は
*いはんかた*なたむくつけゝなるものきてくひ
かゝらんとしきある時にはうみのかひをとり
*く命をつくたひの空にたすけ給へ
き人もなき所にいろ\/のやまひをして
ゆくかたそらもおほえす舩の行にまかせて
うみにたゝよひて五百日といふたつの
時はかりに*海の中にはつかに山みゆ舟の
うちをなむせめて見るうみのうへにたゝよへる

*は:補入「[に]は」
*いはん:補入「[かてつきて草の根をくひものとしきある時は]いはん」
*なた:「た」を見せ消ち、傍書「く」
*く:「く」を見せ消ち、傍書「て」
*海:傍書「うみ」

[13b]
やまいとおほきにてありその山のさまた
かくうるはしこれやわかもとむるやまならむ
とおもひてさすかにおそろしくおほえて
山のめくりをさしめくらして二三日はかりみ
ありくに天人のよそほひしたる女山の中
より出きてしろかねのかなまるをもちて
水をくみありくこれを見て舟よりおりて
山の名をなにとか申とゝふ女こたへていは
くこれはほうらいの山なりとこたふこれ

[14a]
をきくにうれしき事かきりなしこの女かく
のたまふはたれそとゝふわか名はうかんるり
といひて*ふし山の中にいりぬその山みるに
さらにのほるへきやうなしその山のそは
ひらをめくれは世中になき花の木と
もたてり*こかねるり色の水やまより
なかれいてたりそれには色々の玉のはし
わたせりそのあたりにてりかゝやく木
ともたてりその中にこのとりて*またて

*ふし:「し」を見せ消ち、傍書「と」
*こかねるり色:補入「こかね[しろかね]るり色」
*またて:「た」を見せ消ち、傍書「う」

[14b]
きたりしはいとわろかりしかともの給しに
たかはましかはとこの花をおりて*またてき
たるなり山はかきりなくおもしろし世にたとふ
へきにあらさりしかとこの枝をおりてし
かは*心もとなくて舟にのりておひ風ふき
て四百よ日になむ*またてきにし*大願力にや
なにはより昨日なむみやこにまうてきつる
さらにしほにぬれたるころもをたにぬきか
へなてなん*くち*またてきつるとのたまへは

*またて:「た」を見せ消ち、傍書「う」
*心もと:補入「[さらに]心もと」
*またて:「た」を見せ消ち、傍書「う」
*大願力:傍書「たいぐはんりき」
*くち:「く」を見せ消ち、傍書「こ」
*またて:「た」を見せ消ち、傍書「う」

[15a]
*翁うちなけきてよめる
 くれ竹のよゝの竹とり野山にもさやはわひしき
ふしをのみみしこれを御こ聞て*こゝら日ころ
おもひわひ侍る心はけふなんおちゐぬるとのた
まひて返し
 わか*袂けふかはけれは*侘しさのちくさの数も
忘られぬへしとの給かゝる程におとことも
六人つらねて*庭に出きたり一人の男*ふみ
はさみに文をはさみて申*くもんつかさの

*翁うちなけきて:補入「翁[きゝて]うちなけきて」
*こゝら:補入「こゝら[の]」(補入記号なし)
*袂:傍書「たもと」
*侘しさ:「侘」に傍書「わひ」
*庭:傍書「には」
*ふみ:「ふ(布の草体)」に傍書「ふイ」
*くもん:傍書「つくも所イ」

[15b]
たくみあやへのうちまろ申さく玉の木をつ
くりつかうまつりし事五こくをたちて千
*余日に力をつくしたることすくなからすしかる
にろくいまた給はらすこれを給て*けこに
給せんといひてさゝけたり竹とりの翁
このたくみらか申ことはなに事そとかたふき
をり御子はわれにもあらぬけしきにてきも
きえゐ給へりこれをかくやひめきゝて
このたてまつる文をとれといひて見れは

*余日:傍書「よにち」
*けこに:ママ。

[16a]
文に申けるやうみこの君千日いやしきたく
みらともろともにおなし所にかくれゐた
まひてかしこき玉のえたつくらせ給てつか
さも給はむとおほせ給きこれをこのころ
あんするに御つかひとおはしますへきかく
やひめのえうし給へきなりけりとうけた
まはりて此宮より給はらんと申て給はるへ
きなりといふをきゝてかくや姫のくるゝ
まゝに思ひわひつるこゝち*わつらひさかへておき

*わつらひ:「つ」を見せ消ち

[16b]
なをよひとりていふやうまことにほうらい
の木かとこそおもひつれかくあさましきそら
ことにてありけれははやとく返し給へと
いへは翁こたふさたかにつくらせたる物と
きゝつれは返さむ事いとやすしとうなつ
きて*をりかくや姫の心ゆきはてゝあり
つる哥の返し
 まことかときゝてみつれは言のはをかされる*玉の
枝にそありけるといひて玉の枝も返し

*をりかくや姫:補入「をり[けり]かくや姫」
*玉の:「れる」の左側・行間に書く

[17a]
つ竹とりのおきなさはかりかたらひつるかさすか
におほえてねふりをり御子はたつもはした
ゐるもはしたにてゐ給へり日の暮ぬれは
すへり出給ぬ*かうれへをしたるたくみをは
かくや姫よひすへてうれしき人ともなり
といひてろくいとおほくとらせ給たくみ
*らいみしくよろこひおもひつるやうにもある
かなといひてかへる道にて*くらころのみこち
のなかるゝまて*調せさせ給ろくえしかひ

*かうれへ:補入「か[の]うれへ」
*ら:「ら(羅の草体)」に傍書「ら」
*くらころ:「ころ」を見せ消ち、傍書「もち」
*調:傍書「とゝのへ」

[17b]
もなくみなとりすてさせ給てけれはにけう
せにけりかくてこのみこは一しやうのはち
これにすくるはあらし女をえす成ぬるのみ
にあらす*天下の人の見おもはむことのはつ
かしき*事のたまひてたゝ一ところふか
き山へ入給ぬ宮つかささふらふ人々みな
手をわかちてもとめたてまつれとも御し
にもやしたまひけんえみつけたてまつらす
なりぬ御子の御ともに*かへし給はんとて

*天下:傍書「あめのした」
*事のたまひて:補入「事[と]のたまひて」
*かへし:「へ」に傍書「くイ」

[18a]
年ころ見え給はさりけるなりけりこれを
なむ玉さかるとはいひはしめける*右大臣あへ
のみむらしはたからゆたかに家ひろき人にそ
おはしけるその年きたりけるもろこしふね
のわうけいといふ人のもとに文をかきて
火ねすみのかはといふなる物かひておこせよ
とてつかうまつる人の中に心たしかなるを
えらひて*小野のふさもりといふ人をつ
けてつかはすもていたりてもろこしに

*右大臣:傍書「うたいしん」
*小野:傍書「をの」

[18b]
をるわうけいにこかねをとらすわうけい
文をひろけてみて返事かく火ねすみ
のかは*衣此国になき物也をとにはきけ
ともいまた見ぬなりよにあるものならは
このくにゝももてまうてきなましいとかたき
あきなひなりしかれとももし*天竺にたま
さかにもてわたりなは*長者のあたりにとふら
ひもとめむになき物ならはつかひにそへ
てかねをは返したてまつらむといへりかの

*衣:傍書「ころも」
*天竺:傍書「てんちく」
*長者:傍書「ちやうしや」

[19a]
もろこし*舩きけり*小野のふさもりまう
てきてまうのほるといふ事をきゝてあ
ゆみとうする馬をもちて*はしらせてかへ
させ給ときにむまにのりてつくしよりたゝ
七日にのほり*またて*文を見るにいはく火
ねすみのかは衣からうして人をいたしてもと
めてたてまつるいまの世にもむかしの世にも
此かはゝたはやすくなき物也けりむかしかし
こき*天竺のひしりこの国にもてわたり

*舩:傍書「ふね」
*小野:傍書「をの」
*はしらせて:「て」に傍書「むイ」
*またて:「た」を見せ消ち、傍書「う」
*文を:補入「[きたる]文を」
*天竺:傍書「てんちく」


[19b]
て侍ける*西の山寺にありときゝをよひて
おほやけに申てからうしてかひとりて
たてまつるあたいのかねすくなしと*こく
しつかひに申しかはわうけいか物くはへ
てかひたりいまかね五十両たまはるへし
舟のかへらむにつけてたひをくれもしかね
*たまはぬならは*かの衣のしち返したへと
いへることを見てなにおほすいまかねす
こしに*こそあなれかならすをくるへき物に


*西:傍書「にし」
*こく:「く」に見せ消ち、傍書「え」
*たまはぬ:補入「たまはぬ[物]」
*かの:「の(乃)」に傍書「ハ歟本」
*こそあなれかならすをくるへき物に:全文を見せ消ち

[20a]
こそあなれうれしくしておこせたるかなとて
もろこしのかたにむかひてふしをかみ給この
かはきぬいれたるはこをみれはくさ\/のうる
はしきるりを*色えてかは*きぬをみれは
*こんしやうの毛のすゑにはこかねのひかり
しさゝきたりたからと見えうるはしき事
ならふへき物なし火にやけぬ事よりもけ
うらなることならひなし*うへかくや姫このも
しかり給にこそありけれとのたまふて

*色えて:補入「色えて[つくれり]」
*きぬ:傍書「衣」
*こんしやうの:補入「こんしやうの[色なり]」
*うへ:「う」を見せ消ち、傍書「む」

[20b]
あなかしことてはこにいれ給てものゝ枝
につけて*御身のけさう*いといたくして
やかてとまりなんものそとおほして哥よ
みくはへてもちていましたりその哥は
 *限なきおもひにやけぬかは*衣*の*袂かはきて
けふこそはきめといへり家のかとにもて
いたりて*たてり竹とり出きてとりいれ
てかくや姫にみすかくやひめのかはきぬ
を見ていはくうるはしきかはなめりわきて

*御身:「身」に傍書「み」
*いと:「い(伊の草体)」に傍書「い」
*限:傍書「かきり」
*衣:傍書「コロモ」(異筆?)
*の:「の」を見せ消ち
*袂:傍書「たもと」
*たてり:「て(傳の草体)」に傍書「て」

[21a]
まことのかは*いらむともしらす竹とりこたへ
ていはくとまれかくまれ*しやうし入たて
*まつらむ*世中に見えぬかはきぬのさま
なれはこれをとおもひ給ね人ないたくわひ
させ給たてまつらせ給そといひてよひすへ
たてまつれりかくよひすへてこのたひは
かならすあはむと女の心にもおもひをりこの
翁はかくや姫の*やめなるをなけかし
けれは*人にあはせんとおもひはかれと

*いらむ:ママ。
*しやうし:補入「[まつ]しやうし」
*まつらむ:「む(舞の草体)」に傍書「む」
*世中:傍書「よのなか」
*やめ:補入「や[も]め」
*人に:補入「[よき]人に」

[21b]
せちにいなといふ事なれはえしいねは
ことはり也かくや姫おきなにいはくこの
皮きぬは火にやかんにやけすはこそま
ことならめとおもひて人のいふことにも
まけめ世になき物なれはそれをまこと
とうたかひなく思はんとのたまふ猶これを
やきて心みんといふおきなそれさもいは
れたりといひて*大臣にかくなむ*申といふ
大臣こたへていはくこのかはゝもろこしにも

*大臣:傍書「だいじん」
*申:傍書「申」

[22a]
なかりけるをからうしてもとめたつねえた
る也なにのうたかひあらむさは申ともはや
やきて見給へといへは火のなかにうち
くへてやかせ給にめら\/とやけぬされは
こそこと物のかはなりけりといふ大臣これ
をみたまひてかほは草の*葉の色にて*居
給へりかくや姫はあなうれしとよろこひて
ゐたりかのよみ*給へる哥の返しはこに入
てかへす

*葉:傍書「は」
*居:傍書「ゐ」
*給へる:「へる」に傍書「けるイ」

[22b]
 なこりなくもゆとしりせはかは衣思ひの外に
をきてみましをとそありけるされはかへ
りいましにけり世の人\/あへの大臣火ね
*みのかは衣もていましてかくやひめにすみ
給ふとなこゝにやいますなとゝふある人のいは
くかはゝ火にくへてやきたりしかはめら\/と
やけにしかはかくや姫あひ給はすといひ
けれはこれをきゝてそとけなき物を
はあへなしといひける*大伴の*みゆの*大納言は

*み:補入「[す]み」
*大伴:「伴」に傍書「とも」
*みゆの:補入「みゆ[き]の」
*大納言:「納」に傍書「なごん」

[23a]
わか家にありとある人めしあつめてのた
まはくたつのくひに*五色にひかる玉あな
りそれとりてたてまつりたらむ人には
ねかはんことをかなへんとのたまふおのこと
もおほせの事をうけたまはりて*いとも
たうとしたゝしこの玉たはやすくえ
とらしをいはむや*たつのくひの玉は
いかゝとらむと申あへり*大納言*のの給
てんのつかひといはんものは命をすてゝ

*五色に:「に」に傍書「の光あるイ」
*いとも:補入「[申さく仰の事は]いとも」
*たつ:傍書「龍」
*大納言:「大納」に傍書「たいなこん」
*のの給(能乃給):「の(能)」より右に線を引き傍書「イ無」

[23b]
もをのか君の仰ことをはかなへんとこそ思ふ
へけれこの国になき*天竺もろこしの
物にもあらす此くにの海山よりたつは*をり
のほる物也いかにおもひてか*きんちくかた
きものと申へきおのことも申やうさらは
いかゝはせむかたき事なりともおほせ
ことにしたかひてもとめまからむと申に
*大納言見はらゐてなむちらか君のつかひ
と*名をなかしつ*君の*仰ことをは**いかゝ

*天竺:傍書「てんちく」
*をり:「を」より右に線を引き傍書「イ無」
*きんちく:「く」を見せ消ち、傍書「ら」
*大納言:「大納」に傍書「たいなこん」
*名:傍書「な」
*君:傍書「きみ」
*仰:傍書「おほせ」
*いかゝ:「い(伊の草体)」に傍書「い」
*いかゝ:補入「いかゝ[は]」

[24a]
そむくへきとの給てたつのくひの玉
とりに*とく*いたし給この人々のみちのかて
くひ物にとのうちのきぬわたせになとある
かきりとりいてゝそへてつかはすこの人々
とも帰るまていもゐをして吾はをらん
この玉とり*えては家にかへりくなとのた
まはせけりをの\/おほせうけたまはりて
まかり出ぬたつのくひの玉とり*え*すは
かへりくなとのたまへはいへちもいつちもあし

*とく:「く」を見せ消ち、傍書「て」
*いたし:補入「いたし[たて]」
*えて:「て」に傍書「゛(濁点)」
*え:「え(盈の草体)」に傍書「え」
*す:「す(須の草体)」に傍書「す」

[24b]
のむきたらんかたへ*いなむとかゝるすき
事をしたまふことゝそしりあへり給はせ
たる物をの\/わけつゝとるあるいはをのか家
にこもりゐあるいはをのかゆかまほし
き所へいぬおや君と申ともかくつき
なきことを仰給ふことゝ事ゆかぬ物ゆへ
大納言をそしりあひたりかくや姫すへん
にはれい*のやうには見にくしとの給て
うるはしき屋をつくり給てうるしをぬり

*いなむと:「と」を見せ消ち、傍書「す」
*の:「の」より右に線を引き傍書「イ無」

[25a]
まき*ゑして**かへし給て屋のうへにはいとを
そめて色\/*にふかせてうちのしつらひ
にはいふへくもあらぬあやをり物にゑを
かきてまことにはりたりもとのめとも
はかくや姫をかならすあはんまうけして
ひとりあかしくらし給つかはしし人はよる
ひるまち給に年こゆるまてをとも
せす心もとなかりていとしのひてたゝと
ねり二人めしつきとしてやつれ給て

*ゑ:「ゑ(衛の草体)」に傍書「ゑ」
*かへし:「へ」に傍書「゛(濁点)」
*かへし:「へ」に傍書「へ」
*に:「に」より右に線を引き傍書「イ無」

[25b]
なにはの*邊におはしましてとひ給事
は*大伴の大納言*殿の人や舟に*のりて
たつころして*そかくひの玉とれるとやきく
とゝはするに*舩人こたへていはくあやし
き事かなと*わらひてさるわさするふねもなし
とこたふるにをちなき事する舟人にも
あるかな*えしらてかくいふとおほしてわか
ゆみのちからはたつあらはふといころして
くひの玉はとりてん*をそくゝるやつはらを

*邊:傍書「へん」
*大伴:「伴」に傍書「とも」
*殿:傍書「との」
*のりて:「て(亭の草体)」に傍書「て」
*そか:傍書「ソガ」(異筆?)
*舩人:傍書「ふなひと」
*わらひて:「らひて」を擦り消した上に「らひてさる」を書く
*えしらて:「え(盈の草体)」に傍書「え」
*をそくゝる:「る(類の草体)」に傍書「る」

[26a]
またしとの給てふねにのりてうみこと
にありき*賜にいとゝをくてつくしのかた
の*海にこき**出ぬいかゝしけんはやき
風ふきてせかいくらかりて舟を*吹もて
ありくいつれのかたともしらすふねをうみ
中にまかり入ぬへくふきまはして*浪は舟
にうちかけつゝまきいれ*神はおちかゝる
やうにひらめくかゝるに大納言はまとひて
またかゝるわひしきめ見すいかならんとする

*賜:傍書「たまふ」
*海:傍書「うみ」
*出ぬ:補入「出[給ひ]ぬ」
*出ぬ:左側に傍書「給ふイ」
*吹:傍書「ふき」
*浪:傍書「なみ」
*神:傍書「かみ」


[26b]
そとの給ふかちとりこたへて*申*こゝら舩に
のりて*まかりくにまたかくわひしきめを
見す*みふねうみのそこにいらすは神おち
かゝりぬへし*もしさいはひに神のたすけ
あらはみなみの海にふかれおはしぬへし
*うたてあるぬしのみもとにつかうまつりて
すゝろなるしにをすへかめるかなとかち
とりなく大納言これをきゝての給はく舩に
のりてはかちとりの申ことをこそ*たかき山

*申:傍書「申」
*こゝら:「ら(羅の草体)」に傍書「ら」
*まかりく:補入「まかり[あり]く」
*みふね:「み」に傍書「御」
*もし:「も」より右に線を引き傍書「イ」
*うたて:「う(宇の草体)」に傍書「うイ」(ほぼ摩滅)
*たかき:「た(堂の草体)」に傍書「た」(ほぼ摩滅)

[27a]
とたのめなとかくたのもしけなく申そと
あをへとをつきての給*うちとりこたへて
申神ならねはなにわさをつかうまつらむ
風ふき*浪はけしけれともかみさへいたゝ
きにおちかゝるやうなるはたつをころ
さんともとめ給へはあるなりはやてもり
うのふかする也はや神にいのりたまへといふ
よき事也とてかちとりの御神きこし
めせをとなく心おさなくたつをころさむ

*うちとり:「う」を見せ消ち、傍書「か」
*浪:傍書「なみ」

[27b]
とおもひけりいまより後は*毛のすゑ一すち
をたにうこかしたてまつらしとよことをは
なちてたちゐなく\/よはひ給事千たひ
はかり申給ふけにやあらんやう\/かみなり
やみぬすこしひかりて風はなをはやく*吹
かちとりのいはくこれはたつのしわさに
こそありけれ*吹かせはよきかたの風なり
あしきかたのかせにはあらすよきかたにおも
むきてふくなりといへとも*大納言これを

*毛:傍書「け」
*吹:傍書「ふき」
*吹かせ:補入「[この]吹かせ」
*大納言:補入「大納言[は]」


[28a]
きゝいれ給はす三四日*吹てふきかへし
よせたりはまをみれははりまのあかしの
はま*也大納言*南海のはまにふきよせら
れたるにやあらん*といきつきふし給へり舩に
あるおのことも國に*つけたれとも國のつ
かさ*またてとふらふにもえおきあかり給はて
ふなそこにふし給へり松原に*御むしろ
しきておろしたてまつるその時にそ*南海に
あらさりけりとおもひてからうしておきあ

*吹:傍書「ふき」
*也:補入「也[けり]」
*南海:傍書「なんかい」
*と:補入「と[思ひて]」
*つけ:「つ(津の草体)」に傍書「つ」
*またて:「た」を見せ消ち、傍書「う」
*御むしろ:「御」に傍書「御」。ひらがな「ひ」(日の草体)に酷似する。
*南海:傍書「みなみのうみ」

[28b]
かり給へるをみれは風いとおもき人にて
はらいとふくれこなたかなたのめにはすもゝ
をふたつゝけたるやう也これを*見てそ国の
つかさもほうゑみたるくにゝおほせ給て
たこしつくらせ給てによう\/になはれ
給て家に入給ひぬるをいかて*かきゝけん
つかはしゝをのこともまいりて申やうたつ
のくひの玉をえとらさりしかは*南*殿へもえ
まいらさりし玉のとりかたかりし事をしり

*見て:補入「見[たてまつり]て」
*か:「か」より右に線を引き傍書「イ無」
*南:「南」を見せ消ち、傍書「なん」
*殿:傍書「トノ」(異筆?)

[29a]
給へれはなんかむたうあらしとてまいりつる
と*申*大納言おきゐてのたまはくなむ
ちらよくもてこすなりぬたつはなる*神の*る
いにこそありけれそれか玉をとらむとてそ
こらの人々のかいせられなむとしけりまし
てたつを*とらへましかは又こともなく我はかいせら
れなましよくとらへすなりにけりかくや姫
てふおほぬす人のやつか人をころさんと
するなりけり家のあたりたにいまはとをらし

*申:傍書「申」
*大納言:傍書「たいなこん」
*神:傍書「かみ」
*る:「る(留の草体)」に傍書「る」
*とらへ:補入「とらへ[たら]」

[29b]
をのこともゝなありきそとて家に*すこし
のこり*たりける物ともはたつの玉をとら
ぬものともにたひつこれをきゝては
なれ給ひしもとのうへははらをきりて
わらひ給いとをふかせつくりし屋はとひ
からすのすにみなくひもていにけり*世界*の
人のいひけるは*大伴の大納言はたつのくひの
玉やとりておはしたるいなさもあらすみま
なこ二にすもゝのやうなる玉をそゝへてい

*す:「す(須の草体)」に傍書「す」
*たり:傍書「たるイ」
*世界:傍書「せかい」
*の:「界」の下半分に重ねて書く
*大伴:傍書「おほとも」


[30a]
ましたるといひけれはあなたへかたといひ
けるよりそ世にあはぬ事をはあなたへかた
とはいひはしめける中納言いそのかみのまろ
たりの家につかはるゝをのことものもとに
つはくらめのすくひたらはつけよとのた
まふをうけたまはりて何のようにかあらんと
申こたへての給やうつはくらめのもたる
こやすのかひをとらむれう也とのたまふを
のこともこたへて申つはくらめをあまた

[30b]
ころして見るたにもはらになにもなき
物也たゝし子うむ時なんいかてかいたすら
む*はらくかと申人たにみれはうせぬと申
又人の申やうはおほいつかさのいひかしく
屋のむねに*つくのあなことにつはくらめは
すをくひ侍るそれにまめならむをのこと
もをいてまかりてあくらをゆひあけて
*うかゝはせんに*そこらつはくらめこうまさら
むやはさてこそとらしめ給はめと申*中

*はらくか:「ら」に傍書「本」
*つく:傍書「つゝ」
*う:「う(宇の草体)」に傍書「う」
*そこら:補入「そこら[の]」
*中:傍書「ちう」

[31a]
*納言よろこひ給ておかしき事にもある
かなもつともえしらさり*つるけうあること申
たりとの給てまめなるをのことも廿
人はかりつかはして*あなゝいにあけすへられ
たり*殿よりつかひひまなくたまはせてこや
すの*貝とりたるかとゝはせ給つはくらめも
人のあまたのほりゐたるにおちてすにも
のほりこすかゝるよしの返事を申た
れはきゝ給ていかゝすへきとおほし

*納言:傍書「なごん」
*つる:傍書「けり」
*あなゝい:「ゝ」に傍書「本」
*殿:傍書「との」
*貝:傍書「かい」


[31b]
わつらふにかのつかさの*官人くらつまろと申
翁申やうこやすかいとらんとおほしめさは
たはかり申さんとて御前にまいりた
れは中納言ひたひをあはせてむかひ給へ
りくらつまろか申やう此つはくらめ*こやす
かひはあしくたはかりてとらせ給なりさては
えとらせ給はしあなゝいにおとろ\/しく
廿人の人のゝほりて侍れはあれてより
*またてこすせさ*せ給へきやうはこの

*官人:傍書「くはんにん」
*こやす:補入「[の]こやす」(補入記号なし)
*またて:「た」を見せ消ち、傍書「う」
*せ給:「せ(勢の草体)」に傍書「せ」

[32a]
あなゝいをこほちて人みなしりそきてまめ
ならん人ひとりをあらこにのせすへてつなを
かまへて*鳥の*子うまむあひたにつなをつり
あけさせてふとこやすかひをとらせ給
はんなむよかるへきと申中納言の給やう
いとよき事也とてあなゝいをこほし人
みなかへり*まうてきぬ中納言くらつまろ
にのたまはくつはくらめはいかなる時にか子
うむとしりて人をはあくへきとの給くらつ

*鳥:傍書「とり」
*子:傍書「こ」
*まうて:「た(多)」の上から「う」をなぞり書きする

[32b]
まろ申やうつはくらめこうまむとする時は
おをさゝけて七とめくりてなんうみおとす
めるさて七とめくらむおりひきあけてその
おりこやすかひはとらせ給へと申中納言
よろこひ給てよろつの人にもしらせ給
はてみそかにつかさにいましてをのことも
の中にましりて夜るをひるになしてとらしめ
給くらつまろかく申をいといたくよろこひ
てのたまふこゝにつかはるゝ人にもなきにねかひ

[33a]
をかなふることの*うれしきとのたまひて御そぬ
きてかつけ給つさらによさりこのつかさに
*またてことの賜てつかはしつ日くれぬれは
かのつかさにおはしてみたまふにまことに
つはくらめすつくれりくらつまろ申やうを
うけてめくるにあらこに人をのほせてつり
あけさせてつはくらめのすに手をさし入さ
せてさくるに物もなしと申に中納言あし
くさくれはなき也とはらたちてたれはかり

*うれしき:「き」を見せ消ち、傍書「さ」
*またて:「た」を見せ消ち、傍書「う」

[33b]
おほえんにとて*吾のほりてさくらむとのた
まふてこにのりてつられ*のほりてうかゝひ
給へるにつはくらめ尾をさゝけていた
くめくるにあはせて手をさゝけてさくり
給に手にひらめる物さはる時にわれ物に
きりたりいまはおろしてよおきなしえ
たりと*の給あつまりてとくおろさん
とてつなをひきすくしてつなたゆるすな
はちにやしまのかなへのうへにのけさまに

*吾:傍書「われ」
*のほりて:「て」より右に線を引き傍書「イ無」
*の給:ママ。

[34a]
おち給へり人々あさましかりてよりてかゝへ
たてまつれり御めはしらめにてふし給へり
人\/水をすくひ入たてまつるからうして
いき出給へるに又かなへのうへより手とり
あしとりしてさけおろしたてまつる*かうし
て御こゝちはいかゝおほさるゝととへはいき
のしたにて物はすこしおほゆれともこし
なんうこかれぬされとこやすかひをふとに
きりもたれはうれしくおほゆる也まつ

*かうし:補入「か[ら]うし」


[34b]
しそくさしてこゝの*貝かほ見んと御くしも
たけて御手をひろけ給へるにつはくらめ
のまりおける*くそをにきり給へるなりけり
それを見たまひてあなかひなのわさやと
の給けるよりそおもふにたかふ事をはかひ
なしとはいひけるかひにもあらすと見給ける
に*御こゝちもたかひてからひつの*いれられ
給へくもあらす御こしはおれにけり中納言
は*いゝいけたるわさしてやむことを人に

*貝:傍書「かい」
*くそを:補入「[ふるイ]くそを」
*御こゝち:「御」より右に線を引き傍書「イ無」
*いれられ:補入「[ふたの]いれられ」
*いゝいけ:「ゝ」に傍書「本」

[35a]
きかせしとし給けれとそれをやまひにて
いとよはく成たまひにけりかひをは*とらす
なりにけるよりも人のきゝわらはんことを
日にそへておもひ給ひけれはたゝにやみ
しぬるよりも人きゝはつかしくおほえ
給なり*けりこれをかくや姫きゝてと
ふらひにやるうた
 年をへて*浪たちよらぬ住の江の松かひなしと
きくはまことかと*あるよみてきかす

*とらす:補入「[え]とらす」
*けり:「り(李の草体)」に傍書「り」
*浪:傍書「なみ」
*ある:補入「ある[を]」

[35b]
いとよはきこゝろにかしらもたけて人に
かみをもたせてくるしきこゝちにからう
してかき給
 かひは*なく有ける物をわひはてゝしぬる*命を
すくひやはせぬとかきはつるたえ入給
ぬこれをきゝてかくや姫すこしあはれと
*おほえけりそれよりなんすこしうれし
きことをはかひありとはいひけるさてかくや姫
かたちの世にゝすめてたきことを御門きこし

*なく:「な」に傍書「かイ」
*命:傍書「いのち」
*おほえ:「え」に傍書「しイ」

[36a]
めして内侍なかとみのふさこにのたまふお
ほくの人の身をいたつらになして*あはさなる
かくや姫はいかはかりの女そとまかりて見て
まいれとの給ふさこうけたまはりてま
*もれり竹とりの家にかしこまりてしやうし
いれてあへり女に*内侍のたまふおほせ
ことにかくやひめのうちいうにおはす也よく
見てまいるへきよしのたまはせつるになむ
まいりつるといへはさらは*申侍らんといひ

*あはさなる:ママ。
*もれり:「も」に見せ消ち、傍書「か」
*内侍:傍書「ないし」
*申:補入「[かく]申」

[36b]
て入ぬかくやひめにはやかの御つかひにたい
めんし給へといへはかくや姫よきかたち
にもあらすいかてか見ゆへきといへはうたて
もの給ふかな御門の*君の御つかひをは
いかてかおろかにせむといへはかくや姫のこ
たふるやう御かとのめしてのたまはん事
かしこしともおもはすといひてさらにみゆ
へくもあらすむめる子のやうにあれと
いと心はつかしけにをろそかなるやうに

*君の:左に傍点、傍書「イ無」

[37a]
いひけれはこゝろのまゝにもえせめす*内侍
のもとにかへり出てくちおしくこのおさな
きものはこはく侍るものにてたいめんす
ましきと申*内侍かならす*みてまいれと
おほせ事ありつるものを見たてまつら
てはいかてかかへりまいらむ*国王の仰ことを
まさによにすみ給はん人のうけたまはり給はて
*有なむやいはれぬ事なし給ひそとこと
*葉はつかしくいひけれはこれをきゝて


*内侍:補入「[女]内侍」
*内侍:傍書「ないし」
*みて:補入「み[たてまつり]て」
*国王:傍書「こくわう」
*有:傍書「あり」
*葉:傍書「は」

[37b]
ましてかくや姫きくへくもあらす*國王の
おほせことをそむかははやころし給ひてよ
かしといふ此*内侍*かへりまいりこのよしを
*奏す御門きこしめしておほくの人こ
*ろしける心そかしとの給てやみにけれ
と*おほしおはしましてこの女のたはかり
にやまけむとおほしておほせ給なんちか
もちて侍るかくや姫たてまつれかほかた
ち*はしときこしめして御つかひをたひ

*國王:傍書「こくわう」
*内侍:傍書「ないし」
*かへりまいり:ママ。
*奏:傍書「そう」
*ろしける:補入「ろし[て]ける」
*おほし:補入「[猶]おほし」
*はし:「は」を見せ消ち、傍書「よ」


[38a]
しかとかひなく見えす成にけりかくたい
\/しくやはならはすへきとおほせらるおきな
かしこまりて御返事申やう此めのわらはゝ
たへて宮つかへつかうまつるへくもあらす侍る
をもてわつらひ侍さりともまかりておほせ
*事たまはんと*奏*すこれをきこしめして
おほせ給なとかおきなの手におほしたて
たらむものを心にまかせさらむこの女もし
たてまつりたるものならはおきなにかう

*事:「事」より右に線を引き傍書「イ無」
*奏:傍書「そう」
*す:「す(寿の草体)」に傍書「す」

[38b]
ふりをなとかたまはせさらん翁*よろこひ
て家にかへりてかくや姫にかたらふやうかく
なむみかとのおほせ給へるなをやはつかう
まつり給はぬといへはかくや姫こたへていは
くもはらさやうの宮つかへつかうまつらしと
思ふをしゐてつかうまつらせ給はゝきえ
うせなんすみつかさかうふりつかうまつり
てしぬはかり也おきないらふるやう*なし給
つかさかうふりもわか子をみたてまつらては

*よろこひ:「ひ(飛の草体)」に傍書「ひ」
*なし給:ママ。

[39a]
なにゝかはせむさはありともなとか宮つかへをした
まはさらむしに給へきやうやあるへきといふ猶
そら事かとつかうまつらせてしなすやあると
見給へあまたの人の心さしおろかならさりしを
むなしくなしてしこそあれ昨日けふ御かとのゝ給はん
*ことに人きゝやさしといへは翁こたへていはく
*てんか事はとありともかゝりともみいのちの
*あやうさこそおほきなるさはりなれは猶つかう
まつるましきことをまいりて申さんとてまいりて

*ことに:補入「ことに[つかん]」
*てんか:補入「てんか[の]」(補入記号なし)
*あやうさ:「さ」に傍書「きイ」


[39b]
申やう仰の事のかしこさにかのわらはをまいら
せむとてつかうまつれは宮つかへに出したてはしぬ
へしと申宮つこまろか手にうませたる
子にもあらすむかし山にてみつけたるかゝれは
心はせも世の人にゝす侍とそうせさす御門仰
*給みやつこまろか家は山もと*ちかくなり御
かりみゆきし給はんやうにてみてんやとのた
まはす*宮つこまろ申やういとよき事也なに
か心もなくて侍らんにふとみゆきして*御覧

*給:補入「給[はく]」
*ちかく:「く」を見せ消ち、傍書「か」
*宮つこまろ:補入「宮つこまろ[か]」
*御覧:「覧」に傍書「らん」

[40a]
せむ御覧せられなむと*奏すれは御門にはかに
日をさためて御かりに出給ふてかくや姫の家に
入給ふて見給にひかりみちてきよらにてゐた
る人ありこれならんとおほしてちかくよらせ給
にゝけている袖をとらへ給へはおもてをふたき
て候へとはしめよく御らんしつれはたくひなくめて
たくおほえさせ給てゆるさしとすとていて
おはしまさんとするにかくや姫*こたへ奏すをの
か身は此国にむまれて侍らはこそつかひ給はめ

*奏:傍書「そう」
*こたへ奏す:ママ。

[40b]
いといておはしましかたくや侍らんとそうす御門
なとかさあらん猶いておはしまさんとて御
こしをよせ給にこのかくや姫きとかけになり
ぬはかなくゝちおしとおほしてけにたゝ人
にはあらさりけり*とさらは御ともにはいて
いかしもとの御かたちとなり給ひねそれを
見てたに帰なむとおほせらるれはかくや姫
もとのかたちに成ぬ御門なをめてたく
*おほさるゝ事せきとめかたしかくみせつる

*と:補入「と[おほして]」
*おほさるゝ:補入「おほ[しめ]さるゝ」(補入記号なし)

[41a]
宮つこまろをよろこひ*給ひさてつかうまつる
*百官人々あるしいかめしうつかうまつる御門かく
や姫をとゝめてかへり給はんことをあかすくちおし
く覚しけれと玉しゐをとゝめたるこゝちして
なむかへらせ給ける御こしにたてまつり
て後にかくや姫に
 帰るさのみゆき物うくおもほえてそむきてとまる
かくやひめゆへ 御かへりこと
 むくらはふ下にも年はへぬる身の何かは玉の

*給ひ:「ひ」を見せ消ち
*百官:「官」に傍書「くはん」

[41b]
うてなをも見むこれを御門御らんして*いかゝ
かへり給はんそらもなくおほさる御心はさらに
たちかへるへくもおほされさりけれとさり
とて夜をあかし給へきにあらねはかへらせ給
ぬつねにつかうまつる人を見たまふにかく
や姫のかたはらによるへくたにあらさりけり
こと人よりはけうらなりとおほし*けり人の
かれにおほしあはすれは人にもあらすかく
や姫のみ御こゝろにかゝりてたゝひとり

*いかゝ:「かゝ」に傍書「\とゝ」
(※\は合点らしき斜線。「\」と「とゝ」では墨色が異なるか)
*けり:「り」に「る歟」

[42a]
すみし給よしなく御かた\/にもわたり給はす
かくや姫の御もとにそ御文をかきてかよはせ
給御かへりさすかにゝくからすきこえかはし給
ておもしろく木草につけても御哥をよみ
てつかはす*かやうに御心をたかひになくさめ
給ほとに三とせはかりありて春のはしめより
*月の*おもしろ出たるを見てつねよりも物思ひ
たるさま也ある人の*月かほみるはいむこと*に
せいしけれ共ともすれはひとまにも月をみて

*かやうに:ママ。
*月の:補入「[かくや姫]月の」
*おもしろ:補入「おもしろ[く]」
*月:補入「月[の]」
*に:「に」を見せ消ち、傍書「と」


[42b]
はいみしくなき給ふ七月十五日の月にいて
ゐてせちに物おもへるけしきなりちかくつか
はるゝ人々竹とりの翁につけていはく
かくや姫のれいも月をあはれかり給へとも
このころとなりてはたゝことにも侍らさめり
いみしくおほしなけく事あるへしよく\/
みたてまつらせ給へといふをきゝてかくや姫
にいふやうなんてう心ちすれはかく物を思ひ
たるさまにて月を*みたまふそうましき世に

*み:「ニて」のように書くが、「ミ」の変形と見なした

[43a]
といふかくや姫みれはせけんこゝろほそく
あはれに侍るなてう物をかなけき侍へきと
いふかくや姫のある所にいたりて見れはなを
物思へるけしきなりこれをみてあかほと
けなに事思ひたまふそおほすらんことなに
ことそといへはおもふこともなし物なむ心ほそ
くおほゆるといへは翁月な見給そこれを
見給へは物おほす*けしきあるそといへは
いかて月をみてはあらんとて猶月いつれは

*けしき:補入「けしき[は]」(補入記号なし)

[43b]
いてゐつゝなけきおもへり夕やみには*物おも
はぬけしき也月の程に成ぬれは猶時々は
うちなけきなとすこれをつかふものとも
なを物おほす事あるへしとさゝやけと
おやをはしめてなにことゝもしらす八月十五日
はかりの月に出*居てかくや姫いといたくなき
給人めもいまはつゝみ給はすなき給これを
見ておやともゝなに事そとゝひさはくかく
や姫なく\/いふさき\/も申さむとおもひし

*物:補入「物[をイ]」
*居:傍書「ゐ」

[44a]
かともかならす心まとはし給はん物そと思ひ
ていまゝてすこし侍りつるなりさのみやはとて
うちいて侍りぬるそをのか身はこの国の人
にもあらす月のみやこの人なりそれを*なん
*昔のちきりありけるによりなんこのせかい
には*まうてきたりけるいまはかへるへきにな
りにけれはこの月の十五日にかのもとの国
より*むかひに人々まうてこんすさらすまかり
ぬへけれはおほしなけかんかかなしきことをこ

*なん:「なん」を見せ消ち、傍書「イ無」
*昔:傍書「むかし」
*まうて:「ま□て」をすり消した上に「まうて」と書く
*むかひ:「ひ」を見せ消ち、傍書「へ」

[44b]
の春よりおもひなけき侍る也といひていみ
しくなくを翁こはなてう事のたまふそ
竹の中よりみつけきこえたりしかとなた
ねのおほきさおはせしをわかたけたちなら
ふまてやしなひたてまつりたる我子を
なに人かむかへきこえんまさにゆるさんやと
いひてわれこそしなめとてなきのゝしる事
いとたへかたけ也かくや姫のいはく月の
宮この人にてちゝはゝありかた時のあひた

[45a]
とてかの国よりまうてこしかともかくこのくに
にはあまたのとしをへぬるになん有ける
かの国のちゝ母の事もおほえすこゝにはかく
久しくあそひきこえてならひたてまつれり
いみしからむ心ちもせすかなしくのみある
されとをのか心ならすまかりなむとすると
いひてもろともにいみしうなくつかはるゝ
*人にも年ころ*ならひたちわかれなむことを
こゝろはへなとあてやかにうつくしかりつる

*人:傍書「人々イ」
*ならひ:補入「ならひ[て]」

[45b]
事を見ならひて恋しからむことのたへかたく
ゆ水のまれすおなし心になけかしかり
けりこの事を御門きこしめして竹とり
か家に御つかひつかはさせ給御つかひにたけ
とり出あひてなく事かきりなし此事
をなけくにひけもしろくこしもかゝまり
めもたゝれにけりおきなことしは五十はかり
なりけれとも物おもふにはかた時になむ
老になりにけるとみゆ御つかひおほせ

[46a]
事とて翁にいはくいと心くるしく物おもふなる
はまことかとおほせ給竹とりなく\/申この十
五日になん月のみやこよりかくや姫の*むかひ
にまうてくなるたうとくとはせ給この十五日
は人々たまはりて月の宮この人まうてこは
とらへさせんと申御使かへりまいりて翁の
ありさま申て*そうつる事とも申をきこ
しめしての給一めみたまひし御心にたに
わすれ給はぬにあけくれみなれたるかくや

*むかひ:「ひ」を見せ消ち、傍書「へ」
*そう:補入「そう[し]」

[46b]
姫をやりてはいかゝ思ふへきかの十五日つかさ
\/におほせて*勅使*少将*髙野のおほくにと
いふ人をさして六衛のつかさあはせて二千
人の人を竹とりか家につかはす家にま
かりて*ついちのうへに千人家の人々いと
おほかりけるにあはせてあけるひまもなく
まもらすこのまもる人々も弓矢をたいし
ておもやのうちには女ともをはんにをりて
まもらす女ぬりこめのうちにかくや姫を

*勅使:傍書「ちよくし」
*少将:傍書「せうしやう」
*髙野:傍書「たかの」
*ついちのうへに千人:補入「ついちのうへに千人[屋のうへに千人]」

[47a]
いたかへてをり翁もぬりこめの戸をさして
とくちにをりおきなのいはくかはかりまもる
所に天の人にもまけむやといひて屋の
うへにをる人々にいはくつゆも物そらにかけ
らはふといころし給へまもる人\/のいはく
かはかりしてまもる所に*はり一たにあらは
まつ*いとろしてほかに*さらんと思ひ侍るといふ
おきなこれをきゝてたのもしかりをりこれ
をきゝてかくや姫はさしこめてまもりたゝ

*はり:ママ。
*いとろして:「と」を見せ消ち、傍書「こ」
*さらん:ママ。

[47b]
かふへきしたくみをしたりともあの國の
人をえたゝかはぬ也ゆみやしていられしかく
さしこめてありともかのくにの人こはみな
あきなむとすあひたゝかはんとすともかの
國の人きなはたけき心つかふ人もよも
あらしおきなのいふやう御むかへにこむ人を
はなかきつめしてまなこをつかみつふさん
さかゝみをとりてかなくりおとさむさかしり
をかきいてゝこゝらのおほやけ人に見せ

[48a]
てはちをみせんとはらたちをるかくや姫
いはくこはたかになのたまひそ屋のうへに
をる人とものきくにいとまさなしいますかりつる心
*さしおもひもしらてまかりなむする事のくちおし
う侍けりなかき*契のなかりけれは程なくまか
りぬへきなめり*思ふかゝなしく侍る也おやたち
のかへりみをいさゝかたにつかうまつらてまか
らむみちもやすくもあるましきに日比
もいてゐてことしはかりのいとまを申つれと

*さし:補入「さし[ともを]」
*契:傍書「ちきり」
*思ふ:補入「[と]思ふ」

[48b]
さらにゆるされぬによりてなむかく思ひ*歎き
侍るみこゝろをのみまとはしてさりなむことの
かなしくたへかたく侍る也かのみやこの人は
いとけうらにおいをせすなんおもふ事も
なく侍る也さる所へまからむするもいみしく
も侍らすおいおとろへ給へるさまをみたて
まつらさらむこそ恋しからめといひて翁む
ねいたき事なしたまひそうるはしきすかた
したるつかひにもさはらしとねたみをりかゝる

*歎き:「歎き(きは支の草体)」に傍書「なけき」

[49a]
程によひ*すきてねの時はかりに家のあたり
ひるのあかさにもすきてひかりたりもち
月のあかさを十あはせたるはかりにてある
人のけのあなさへみゆるほとなり大そらより
*ひと*雲にのりておりきてつちより五
尺はかり*あかる程にたちつらねたりこれ
をみてうちとなる人の心とも物におそはるゝ
やうにてあひたゝかはん心もなかり*けり
からうしておもひおこして弓矢をとりたてん

*すきて:補入「[うち]すきて」
*ひと:「ひと(日登)」を見せ消ち、傍書「人」
*雲:傍書「くも」
*あかる:補入「あか[りた]る」
*けり:「り(梨の草体)」に傍書「り」

[49b]
とすれとも手にちからもなくなりて*なえかゝ
りたり中に心さかしきものねんしていんと
すれともほかさまへいきけれはあれも
たゝかはて心ちたゝしれにしれてまもり
あへりたてる人ともは*装束のきよらなる
こと物にもにすとふ*車一くしたり羅かいさし
たりその中にわうとおほしき人家に宮
つこまろまうてこといふにたけくおもひ
つるみやつこまろも物にゑひたるこゝちして

*なえ:「え(縦に長い棒状の「え」)」に見せ消ち、傍書「え」
*装束:傍書「しやうそく」
*車:傍書「くるま」

[50a]
うつふしにふせりいはくなんちおさなき人
いさゝかなるくとくをおきなつくりけるにより
てなんちかたすけにとてかた時のほとゝて
くたしゝをそこらの年ころそこらのこかね給
て身を*かへたること成にたりかくや姫はつみ
をつくり給へりけれはかくいやしきをのれ
かもとにしはしおはしつる也つみのかきり
はてぬれはかくむかふるを翁はなき*歎く
あたはぬ事也はや出したてまつれといふ

*かへたる:補入「かへたる[か]」
*歎:傍書「なけ」

[50b]
おきなこたへて申かくや姫をやしなひたて
まつることに廿*余*年に成ぬかた時との給に
あやしく成侍ぬ又こと所にかくやひめと
申人そおはすらむといふこゝにおはするかく
や姫はおもきやまひをし給へはえ*いて
おはしますましと申せは*そ返事はなく
て屋のうへにとふくるまをよせていさかく
や姫きたなき所にいかてか久しくおは
せんといふたてこめたるところの戸すなはち

*余:傍書「よ」
*年:傍書「ねん」
*いて「い」より右に線を引き傍書「イ無」
*そ:補入「そ[の]」

[51a]
たゝあきにあきぬかうしともゝ人はなくして
あきぬ女いたきてゐたるかくや姫とに出ぬえ
とゝむましけれはたゝさしあふきてなきをり
竹とり心まとひてなきふせる所によりてかくや
*姫こゝ*に心にもあらてかくまかるにのほらんをた
にみをくり給へといへともなにしにかなしきに
見をくり*たてまつらむ我をいかにせよとてす
てゝはのほり給ふそくしていておはせねとなき
*てふせれは心まとひぬ文を*書をきて

*姫:補入「姫[いふ]」
*に:補入「に[も]」
*たてまつらむ:「てまつらむ」の箇所、手で擦りたるごとき跡(汚損)あり
*て:「て(亭の草体)」に傍書「て」
*書:傍書「かき」

[51b]
まからむ恋しからむおり\/とり出て見給へとてうち
なきてかくこと*葉は此*国にむまれぬるとなら
はなけかせたてまつらぬほとまて侍らてすき*別
ぬる事返々ほいなくこそおほえ侍れぬき
をくきぬをかたみと見給へ月のいてたらむ
夜は見おこせ給へみすてたてまつりてまか
る*空よりもおちぬへき心ちすると書を*く
天人の中にもたせたる箱ありあまのは衣い
れり又あるはふしのくすりいれりひとりの天人

*葉:傍書「は」
*国:傍書「くに」
*別:傍書「わかれ」
*空:傍書「そら」
*く:前字「を」の左側・行間に書く

[52a]
いふつほなる御くすりたてまつれきたなき所の
ものきこしめしたれは御こゝちあしからむ物そ
とてもてよりたれは*わつかなめ給てすこし
かた見とてぬきをくきぬにつゝまんとすれ
はある天人つゝませすみそをとり出てきせん
とすその*時にかくや姫しはしまてといふ
きぬきせつる人は心ことになるなりといふ物
ひとこといひをくへき事ありけりといひて
文かく天人おそしと心もとなかり給かくや姫物

*わつか:傍書「いさゝかイ」
*時:傍書「とき」

[52b]
しらぬことなの給そとていみしくしつかにおほ
やけに御ふみたてまつり給あはてぬさま也
かくあまたの人をたまひてとゝめさせ給へと
ゆるさぬむかへ*またてきてとりいてまかりぬれ
はくちおしくかなしき事宮つかヘつかうまつ
らすなりぬるもかくわつらはしき身にて侍
れは心えすおほしめされつらめとも心つよ
くうけたまはらすなりにし事なめけなる
物におほしめしとゝめられぬるなん心にとゝ

*またて:「た」を見せ消ち、傍書「う」

[53a]
まり侍りぬとて
 今はとて天のは衣きるおりそ君をあはれと
おもひいてけるとてつほの*薬そへて*頭中将よひ
よせてたてまつらす*中将に天人とりてつたふ中
将とりつれはふとあまのは*衣うちきせたてまつりつれは
翁を*いとおしくかなしとおほしつる事もうせぬ
此きぬきつる人は物おもひなく成にけれは*車に
のりて百人はかり天人くしてのほりぬそのゝち
翁女ちの*涙をなかしてまとへとかひなしあの書を

*薬:傍書「くすり」
*頭中将:傍書「とうのちうしやう」
*中将:傍書「ちうしやう」
*衣:傍書「ころも」
*いとおしくかなし:ママ。
*車:傍書「くるま」
*涙:傍書「なみた」


[53b]
きし文をよみきかせけれとなにせむにか*命も
おしからむたか*為にか何事もようもなしとて*薬
もくはすやかておきもあからてやみふせり中将人々
ひきくして帰りまいりてかくや姫をえたゝかひとめ
す成ぬる事こま\/とそうす*薬のつほに御文
そへてまいらすひろけて御覧していと*たくあはれ
からせ給て物もきこしめさす御あそひなともなか
りけり大臣*上達部をめしていつれの山か天に
ちかきとゝはせ給ふに人そうすするかの国にある

*命:傍書「いのち」
*為:傍書「ため」
*薬:傍書「くすり」
*薬:傍書「くすり」
*たく:補入「[い]たく」
*上達部:傍書「かんたちへ」

[54a]
なる山なんこのみやこもちかく天もちかく侍ると*奏*す
これをきかせ給ひて
 *逢ことも*涙にうかふ*我*身にはしなぬくすりも
何にかはせむかのたてまつるふしの薬に又つほくして
御*使にたまはす*勅使にはつきのいはかさといふ人をめして
するかの国にあなる山のいたゝきにもてつくへきよし仰
給みねにてすへきやうをしへさせ給御ふみふしの*薬つほ
ならへて火をつけてもやすへきよしおほせ給
そのよしうけたまはりてつはものともあまたく

*奏:傍書「そう」
*す:「す(順の草体)」に傍書「す」
*逢:傍書「あふ」
*涙:傍書「なみた」
*我:傍書「わか」
*身:傍書「み」
*使:傍書「つかひ」
*勅使:傍書「ちよくし」
*薬:補入「薬[の]」

[54b]
して山へのほりけるよりなんその山をふし
の山とは名つけゝるそのけふりいまた雲の
なかへたちのほるとそいひつたへたる

[55a]
《一面白紙》


[55b]
借伊賀前司神元純上原手終写功
自加一校畢
 天正廿年林鐘下旬記之
         也足子【花押】
 文禄五壬七六以松下民部少甫述久本重校正了